星から落ちた小さな人(コロボックル物語③)

著者:佐藤さとる
出版:講談社
初版:1985.11.13.(新版)
紹介:「矢じるしの先っぽの国、コロボックル小国」は、人間の世界からいろいろなことを学んで、めまぐるしくかわりはじめていた。
学校をつくり、新聞を発行し、科学も学んだ。ただ、なるべく人間とかかわらないよう、ひっそりとくらしていた。
だが、新型飛行機の試験飛行の日、コロボックルの一人がついに人間にみつかってしまう。コロボックルのことなど何も知らない小学生に・・・・・・。(表紙扉より引用)
コメント:

カカシの夏休み

著者:重松清
出版:文藝春秋
初版:2000.05.10.
紹介:*担任しているクラスにいる一人の問題児。なぜ彼はキレるのか?何が彼の身に起きているのか?仕事、家庭、家族・・・30代後半の男にとってのそれは、この時代、なかなか思うようには進まない。
帰りたい、子供の頃過ごしたなつかいい日羽山に・・・でも、もう町はダムの底に沈んでいる。同級生の死をきっかけに再会した、仲間たち。帰ろう!日羽山に(カカシの夏休(みらいみ)
*時代遅れのヘアースタイル「ライオン先生」はじつはかつらだった。そのヘアスタイルにこだわり、そのたてがみで自らを奮い立たせていた44才。だけど、そろそろそれも限界を感じ始めていた。理想と現実のギャップ。
不登校気味の生徒、何故学校に来ないのか?何故がんばる必要があるのか?頑張れば、きっといつかいいことがあるのか?そうとは言い切れない現代・・・(ライオン先生)
*電話がかかってきた。その直後、彼は自殺した。私は彼の死に責任はあるのか?(未来)
コメント:がんばっても、がんばっても思うようにはならない子供(生徒)たち、彼らがかかえている様々な問題の裏側には、やはり、その親や取りまく大人達がそれぞれ問題を抱えている。
問題は、社会にあるのか?大人にあるのか?
いま子供達の周辺で、世の中をなめたような、或いは諦めたような子供達を目にするたびに、彼らを取りまいている大人達の影を感じ、容易には解決できない問題の深さを思い知らされる。大人の責任も大きいけど、その大人もいまは余裕をなくしているような気がしてならない。いったいどうしたらいいのだろう?

神様がくれた指

著者:佐藤多佳子
出版:新潮社
初版:2000.09.20.
紹介:タイトルからどんな指を想像しますか?
私は、「不自由な指」を想像して、
障害を持っていてもがんばっている心温まる、
そしてちょっと感動の物語を想像していたのですが・・・
どうも、外れたようです。
神様がくれたのは、天才的な「スリ」の指だった・・・
刑期を終えて出所した「スリ」と彼を暖かく迎える人々、
その目の前で仕事は行われた。余りに鮮やかな手並みに
彼の「スリ」としてのプライドは揺れる・・
怪我をした「スリ」と彼を助けた妙な「占い師」の間に不思議な感情が
そして、ある日・・・占い師の元に逃げ込んできた少女をみたとき。
コメント:あー、なんと文章力のないことか!
とにかく、期待を裏切らない、人の優しさを信じたくなるような話です。

トゥインクル・ボーイ(子供たちの7つの憂うつ)

著者:乃南アサ
出版:実業之日本社
初版:1992.01.10.
紹介:*拓馬はその美しい笑顔でどんな大人の愛も獲得することができた。拓馬は数字の書かれたカードを集めるのが好きだった。とくにきれいなカードの中にはすごいカードがあるんだ。だけど、それは落ちているカードじゃない。(トゥインクル・ボーイ)
*アパートの隣の居酒屋には、3才の女の子がいた。人に寄りつかない子が萩原だけにはなついている。隣のアパートに遊びに来るうちに、彼女と一緒にいるところにも来るようになった。「真美もハダカででねんねする」そして、三つ編みのお下げをほどいて手でかき混ぜた。(三つ編み)
*まぁくんのうちは、家族がいっぱいで、お米やさんだ。まぁくんの家で食べる夕ご飯は美味しい。ボクもまぁくんの家族になりたい・・・。だけど、ボクの家はまぁくんのうちじゃないし、ボクのいるところはないんだ。そうだ・・・寿命がきたら、ボクがまぁくんと交代すればいいんだ。「僕が今度からまぁくんなんだよ」(さくら橋)
*自分の子供でもないのに、まじめに働いて万引き癖のある女房と子供を養っている。。おまえはいったい誰に似たんだ。「ボクを本当の父さんと母さんのところに連れて帰れ!」床下から物音がしてくる。そして異臭も・・・(捨てネコ)
*閉店間際にやってくる「悪魔の親子」は、会話もなくそれぞれが漫画を読みふけっている。家族の幸せの象徴である坂の上の新築の家。しかし、雪駄履きの父親とひとりでおしゃれをしている母親、イジメを受け孤独な目をしている子供達。街には放火事件が続発。(坂の上の家)
*「子供が好きだから保母さんになるの」それは、そもそも間違いだった。子供は無邪気でも可愛くもなかったのだ。そして、彼ら一人一人には親という大人がくっついている。(青空)
*ママは決めている祐一郎はお医者さんになるって。パパのようになっちゃダメだって。「祐一郎はママの命なの」じゃあ、ボクの命はどこに行っちゃったの?ママからボクの命を取り返さなくちゃ・・・(泡)
コメント:けっこう不気味です。子供は無邪気で可愛いなんて・・・ひとつ扱いを間違えたら、とんでもないことになる。一番無邪気で、怖かったのは(泡)です。

彼女について知ることのすべて

著者:佐藤正午
出版:集英社
初版:1995.07.25.
紹介:その夜わたしは人を殺しに車を走らせていた。
小学校の教師である私は、多分結婚するであろう人がいたが
何故か、別の女に心ひかれてしまう。しかし彼女には・・・・
そして8年後。
コメント:ウーム。コメントはないなぁ。
彼女にどうしようもなく惹かれて、でも彼女には逃げ出すことのできない男がいて
結局、なんにも出来ずに、8年の歳月が過ぎてしまう。
頼まれて教え子をあずかり、学校の先生をしてはいるが、その行動も何とも中途半端だし・・・
何とも、決断力に欠けるその場に流されやすい男の姿に、イライラしちゃうわ。
自分の都合のいいように流されているんだもの・・・おい!しっかりしろ。
まあそれに比べれば彼女はしたたかに生きてるなぁ。

個人教授

著者:佐藤正午
出版:角川書店
初版:1988.12.05.
紹介:新聞記者を辞め、病院理事長夫人との契約で僕は部屋を与えられ、月2回の密会をする。教授は本当の教授ではなく、酒場での教授だ。不思議な探偵に後を付けられ、一度しか会ったことのない女が自分の子供を産むという。
転勤してきた街で、ずっとその街で暮らしていく人々と、流れてきたもの。
そして、また街を捨てて戻っていく。
コメント:なんて言ったらいいのでしょう?「個人教授」からイメージしていた内容とは全然違っていた。
男の身勝手さと、甘い欲と、現実から一時逃避したいという、何とも言えない話だと思ったのは私の誤解かしら?結局自分は1つも傷つかないのだし・・・。
まあ、まわりの誰も傷ついてはいないから、それはそれでいいのかもしれないけど、だから余計に都合のいい話だな・・・なんて思ってしまった。

著者:佐藤正午
出版:角川春樹事務所
初版:1998.11.08.
紹介:ある日、知らない男からかかってきた電話。彼は同級生だという。そして、私だけに読んで欲しいと、たくしたフロッピィの中身は・・・
1980年9月6日。その日起きた電車事故によって分けられた運命。
もしも、あの時、彼女を助けられていたら・・・
その一瞬に戻ることができたとして、そこから始まる人生は、また違った運命に導かれる。本当の自分の人生は?やり直すことが果たして幸せなのか?
彼はどうしているのか?そして、私の人生は?
コメント:自転車事故の一瞬を分岐点として、まるでYの字のように分岐していく運命。
未来がわかるからといって、思い通りの人生がやってくるわけではない、「もしもあのとき・・・」と昔を思うことは誰にもあることだが、人生はやり直してもやっぱり上手く行かないものなのかもしれない。

カミングアウト

著者:島田和子
出版:新日本出版社
初版:2000.02.20.
紹介:美奈が新しく引っ越して来た町にあったのは「全生園」というハンセン病療養所だった。そこで知り合った、森山さんが過ごしてきた人生は、ハンセン病と、病気への偏見さらに「ライ予防法」によって、自由を奪われてきた。
森山さんと話すうちに、今まで知らなかったハンセン病や、それを取り巻く社会のことに驚き、また、ハンセン病であることを公開して活動する姿を応援するようになる。
コメント:ハンセン病、ライ病という病名は聞いたことがあっても、実はよく知らなかった。
今は治療によって治る病気だというのに、「ライ予防法」によって、不当に隔離拘束され、差別され人々の偏見に耐えてきた患者達。
ひとりの少女が、何の先入観もなく元ハンセン病患者と交流を深めていくうちに、
今まで知らなかったハンセン病や元患者達の受けた不当な現実を知る。
細かい事実も大切だが、ハンセン病で苦しんできた人々の思いが、心に伝わってくるこの本は、児童書ではあるけれども、大人にもぜひ読んでほしいと思う本でした。

若者と現代宗教

著者:井上順孝
出版:ちくま新書
初版:1999.12.20.
紹介:「宗教ブーム」といわれてひさしいが、それは真実ではない。宗教を「アブナイ」ものとして忌避する無知な警戒心と、摩訶不思議な世界へのやまれぬ好奇心が、同時に強まっているのが現状なのだ。伝統と歴史の価値が失われていく現代、われわれを取り巻く精神世界のフレームワークは、どのように変わっていくのか。オウム真理教やインタネット上のバーチャル宗教など、新興宗教が自由競争を繰り広げて混迷する、宗教の最前線と未来を見据える。(表紙扉より引用)
コメント:現代社会における、新興宗教をめぐる学術的な調査見解である。
インターネットやTVなどのメディアを通して、霊・オカルト・超常現象など、現在はさまざまな情報が私たちの身のまわりにあふれている。そういうものへの興味や関心が高いと言うことは、実は宗教にひかれる部分が多少あるみたいだ。
しかし、宗教と一口に言っても、既存のものから新しいものまで、その発生する国や土地によって本当に多くの宗教があるものだ。

洗脳の楽園-ヤマギシ会という悲劇-

著者:米本和広
出版:洋泉社
初版:1997.12.24.
紹介:ヤマギシ会とはどういう団体なのか?自然に恵まれた野菜・卵の販売から「ヤマギシの野菜は無農薬無添加です」というプラスイメージを受ける。実際は、農薬も添加物も使われているという事実を知らずに、会員となり、「無所有一体社会」という夢のユートピアを思い描く。ヤマギシ村の村民となるには、全財産を村に放出しなければならないし、その前には一週間の「特講」一種の「洗脳」を受けることになる。
また、会員たちは子どもたちを「ヤマギシ学園」に入れることが、子供の幸福につながると信じているが、その学園の実態は?今まで小耳しかはさんだことのなかった「ヤマギシ」の概要が、ここに明らかになる。
コメント:「ヤマギシ学園」ってなんだろう?しばしば教育のサイトで話題になるので気になっていた言葉。世の中には知らないことがたくさんある。そして恐ろしいのは、私にとって、「無農薬無添加の野菜や卵」はとても魅力的に感じるということだ。そして、都会に暮らす人にとっては、子供に「自然と触れあう」体験をさせるという魅力的な誘い。
夏休みに企画されているという「楽園村」の募集パンフレットは、私も一度手にしたことがある。ああ・・・知らないと言うことは何と恐ろしいことなんだろう。背筋が寒くなる思いです。