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2004年10月11日

プロフィール(2006.1月現在)

fukuro: 結婚と同時に夫の両親(ジジ・ババ)と同居以来24年が経過。
     夫と3人の子供(社会人・男 大学生・女 高校生・女)の7人家族

ジジ :大正8年生まれ(86歳)要介護3 
     性格は几帳面・きれい好きだった。
     定年後70歳まで第二のお仕事を続ける。
     以後、家のまわりの掃除や片付け。あとはテレビを見る生活となる。

ババ :昭和2年生まれ(78歳)要介護1
     脊椎間狭窄症・今のところ、まだ頭は大丈夫。

認知症の経過

1998年(79歳):認知症の兆し
しきりに墓所を気にする。墓の中に隣の人がゴミやお骨を入れているといって、憤慨している。ひとりで墓地に行っているのかと思ったら、妄想だけで近くを徘徊していたらしい。今なら、認知症の始まりとわかるが、当時は「何言ってんの~?そんなことあるはずないでしょ」と気にも留めなかったのだ。
いつからか、家のまわりを掃除したゴミを、近所の空き地のブロックの穴に詰めてくるようになる。

2000年(81歳):家の老朽化に伴い、建て替えを提案。
自分が建てた家に強い執着を持ち、改築は認めても、家を壊すのはいやだと主張していたジジが、「建て替えてもいいよ」と言った。これもボケの始まりか?

2001年(82歳):建て替え・入院
3月:引越しや仮住まいなどの環境の変化が、ジジの頭に及ぼす影響を心配しつつ、今がチャンス!と建て替えを決行。

6月:白内障の手術のために入院。手術の説明をし理解して臨んだはずなのに、麻酔注射に大暴れ、目の周りが青あざになる。点滴をはずす、眼帯をむしりとる。ベッドの上に立ち上がる。あげくの果てに「自分をこんなところにおいて、みんなで旅行に行っている」と思い込む。今思えば、これも明らかな症状のひとつ。

8月:ジジに心配していたほどの混乱はなかったものの、自分の家ではなく、息子が買った家だと認識(まだ息子のことがわかっていた)。ババの強い希望でそれぞれ個室を持ち家庭内別居となる。

2002年(83歳):ガン
新居の水道栓や電気のスイッチなど,使い方が変わってしばし戸惑う。しかし、開けられなかった玄関のカギが開けられるようになった。ひとりで散歩に行こうとするので危ない。歩いて3分の床屋へ行ったはずなのに、2時間かけて結局床屋には行かずにもどる。
ババの「夫婦のことに口出さないでよ!」発言。しばらく静観。
9月:老人健診で肺に小さな影「肺の腺ガン」発見。初期で普通なら手術で取れるものだが、高齢で長期入院の及ぼすその他の影響を考えると、手術はしないことに決めた。

2003年(84歳):テレビの内容も理解できない?
毎日部屋でテレビを見て過ごす生活が続く。しかし、好きだった相撲すら、理解できなくなってきた。法事などに行っても、自分のおかれている状況がわからない。
デイサービスなどの利用を勧めるが、ババの「お父さんは、ああいうところに行きたくないって言っているから。」という抵抗にあい、実現せず。「お父さんの面倒は私が見るからって、約束したの」と宣言される。

2004年(85歳):介護保険申請
ババの腰痛がひどくなり、起き上がれなくなる。ジジの世話どころか自分の体が言うことを利かなくなり、とうとう介護申請に同意。
住宅改修:畳→床 ベッドを導入。ひどいときは家の中でも杖を突く。
ジジ「要介護3」ババ「要介護1」と認定。家族を認識できないことが判明。
12月:ジジ デイサービス利用開始

2005年(86歳):
心療内科を受診。中度のアルツハイマー型老人性認知症と診断される。
3月:ババ デイサービス利用開始