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ジジ 永遠の眠りに

2月29日 ジジが永眠しました。
先日 四十九日の法要と納骨も終え、ようやく一段落ついたところです。

・・・・・・
2月28日
ジジの体力が落ちてきているので、家族が呼ばれました。

一週間前とあまり変わらない様子で、静かに寝ている。
ただ、微熱も続き、胃ロウも栄養が吸収されない。腸の働きも悪くなってきている。
点滴も、なかなかはいらなくなってきています。心臓も弱くなってきているし、
恐らく、あと一週間くらいで・・・

そういわれて帰ってきたのだった。

珍しく一緒に行ったババに、ジジがにやっと笑ったように見えたのは気のせい?
ただの筋肉のけいれんか?
「ジジが笑ってくれた。と思えば、それが真実」

あと一週間。3月になれば、もう少しでお誕生日ね。そのくらいまで頑張るんじゃないかな?

そう思っていた翌日早朝、電話で起こされた。「先ほどなくなりました」
急いで車で病院に向かう。昨日とあまり変わった様子もなく、なんだかまだ眠っているみたいだった。


悲しんでいる間もなく、遺体を引き取らなければならないので、バタバタと葬儀社に連絡を取り、斎場や日程の調整をする。
病院の支払いを済ませ、寝台車で仮安置の斎場へ

告別式の段取りを打ち合わせ、納棺だけは家族でその日のうちに行った。
次女が枕経を上げてくれた。きっとジジは喜んでくれただろう。

通夜・告別式とセレモニーは粛々と進んで行く。
お葬式に出たことはあるけれど、葬式を出す立場になったのは初めてで、本当にわからないことだらけだった。

葬儀が終わったら、次々といろんな手続きが待っている。
年金の死亡届と請求。介護保険。健康保険の届け。住民票や課税証明 戸籍の書類も幾つか集めなくてはいけない。意外と面倒なのはNTT。さすが昔は天下の電電公社・電話加入権は相続と同じ扱いらしい。

それと平行して、香典返しや四十九日の準備。
仏壇と墓石も整えなくてはいけない。
仏壇やさんを何軒も回ってみたり、公園墓地でいまどきの墓石を見学したり・・・
わからないことだらけでした。

預貯金も、亡くなったら口座が凍結されて、お金が引き出せないと噂に聞いていたけど、
それは、有名な人ならそうかも知れないけど、一般の市民なら普通預金ならカードで引き出せるらしい。知らなかったなぁ・・・

とにかく相続には生まれてから死ぬまでの戸籍の書類が必要で、その戸籍も何枚も何枚もいるのだ。ジジなんて生まれてからずっと同じ場所にあるのにね。戸籍の改製が何度もあるので、その回数分書類が必要なのだ。手数料だけでも馬鹿にならない。

税務署の手続きもあるし・・・土地登記の名義変更もしないと。

とにかく、何一つやるのにも、母の委任状がいる。めんどくさい事この上ないけれど、これを全部80歳の母にやれというのはどう考えても無理な話。
人がひとりいなくなるというのは、何かと大変なことです。

父が老健・病院に入って約2年。
家に、ジジがいないのには慣れているので、あまり寂しさは感じない。
なんだか、まだ病院に入院してるような気もするし、商店街を歩いていれば、向うの方から歩いてきて「よ!」っと手を上げてニッコリ笑うかもしれない。姿の似たおじいさんを見かけると「あれ?どこいくの?
」と、声をかけそうになる。ああ・・・もう歩けないんだっけ。

夕飯の支度をする時。今日は何人だっけ?
ジジと〇〇がいないから・・・7-2で5人分ね。
私の頭の中では、まだ家族の基準値は7人のままだ。

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コメント

ご冥福をお祈りいたします。
入院したりして、家にいないまま亡くなると、もういないという実感が薄いです。
日が経つにつれ、思い出が甦ったり、似た人を見てドキッとしたり、夢を見て嬉しかったり、淋しかったりします。
音楽が一番涙を誘うような気がします。

お義母様にもお疲れがでませんように。
296さんも、無理しないでね。

北国さんありがとう

今日はお墓参りに行ってきました。お寺も墓地もジジが気に入っていましたので、ようやく安心したと思います。

本当にジジがいなくなったのだと感じたのは、葬儀のときはなく、戸籍謄本や住民票のジジの名前が削除されていた時です。この社会にもうジジはいなくなってしまったんだと、改めて突きつけられたような気がして、ババにはしばらく見せませんでした。

だって、ジジとババの戸籍はもうババひとりになってしまって、本当にひとりなんだって現されているような気がしたのです。

なので、ああいう書類はやっぱりババには見せたくありません。
思い出は、いい思い出だけで充分ですものね。

北国さんもいい思い出を大切にしていってね。

ご愁傷様です。ふくろうさんも大変ですね、ご自愛ください。
我が家は自分と家内とも両親が健在ですがそろそろ順番がきそうです。歳にはかないません。

ありがとうございます。
ここへ来てようやく、相続や不動産登記の手続きも終了しました。
ホッと一息です。

義母は元気にしています。
私の両親も、元気にしています。
いつまでも元気にしていて欲しいですね。

お疲れさまでした。
私も思いもしなかった介護の世界に入り、認知症専門の福祉施設からこの4月には小規模多機能型居宅介護へ移り、なかなかこちらにお邪魔することがありませんでした。

認知症はケアにより遅らせることはできるのです。ですが、それが幸せなのかどうなのかは発症から10年以上経った方々を見ても非常に疑問に思います。

アルツハイマー型認知症については、現在アリセプト(脳の血流を良くする)の処方が主流なのですが、製薬会社の方の話しによればあと5年もすれば特効薬がでるらしいです。

人生の先輩に対峙して思うのは、体調や生活環境は整えてあげられますが、生き甲斐までは与えてあげられないということです。

生きるということを突き詰められる瞬間でもあります。

お義父さまの死も、大きな意味があったのではないかと存じます。

心よりご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございました。

     合掌

X68000さん
認知症を見守る家族としては、とても複雑な思いでいました。
一緒にいても、手を尽くしても、父がいつも一人ぼっちで、不安だったのは事実です。天涯孤独で、自分が何者であるかもわからなくなり、天井を見つめながら、痛みすらわからなくなっている姿を見るのは、とても辛いことでした。

思ったのは、老健→認知症専門病院と移動するたびに、歩けていたのが、車椅子になり、誤嚥性肺炎を恐れて胃ロウにしたのをきっかけに寝たきりになって・・・

その時は、それが必要なことだったのかもしれないけれど、それがジジの幸せだったかどうかはやっぱりわかりません。

病院や家族の都合でそうさせてしまったような気もします。
でもね、きっと今は大好きだった「おっかさん」の側で幸せに暮らしていると思うのです。