江戸古地図で巡る 品川・目黒編

五反田→目黒

21日、第3回目の古地図で巡る旅に行って来ました。
今回は、あらかじめ古地図や現代地図を眺めながらどのルートを歩くのか想像を巡らせ、色々ネット情報を検索してから出かけました。

五反田駅→松平内蔵頭(池田家下屋敷跡)→宝等寺→松平陸奥守(伊達家下屋敷跡)→御殿山→蕎麦処あづまや→大和柳生藩下屋敷跡→目黒川沿いを歩く→太鼓橋→目黒雅叙園→大圓寺→行人坂→目黒駅
歩いて、19000歩くらいでした。

五反田駅集合。まず、ねむの木の庭(皇后美智子さまの生家跡)を訪ねました。次に池田山は池田家下屋敷の庭の一部が公園として残されています。このあたり一帯が広大な屋敷跡だったようです。蠟梅がきれいでした。

桜田通りを渡り、雉子宮(雉子神社)へ。なんとうまい具合にビルの懐に建てられていました。
住宅街の路地を下って行くと、塀の上で仲良く日向ぼっこしているねこさんに遭遇。

松平陸奥守(伊達家下屋敷跡)は現在「清泉女子大」の敷地あたりになっています。
どこも小高い山の上です。

坂を下って、広い通り(昔はソニー通りと言ったらしい)を渡った先のビルに「容器文化ミュージアム」というところがあって、そこが今回のシティガイドさんの縁の会社ということで、寄り道の見学とトイレ休憩をしましたが、なかなか面白いミュージアムでした。
そこから左に向かって御殿山小学校。その向いあたりが御殿山の城跡のようですが、江戸の大火でお城は焼け、あたり一帯が御殿山と言われています、近代はソニー本社があった場所らしいです。
御殿山の一角には以前訪れた「原美術館」もありますし、大使館や昔吉川英治が住んでいたという邸宅もありました。御殿山通りは、ちょっとひっそり。

御殿山通りを目黒川に向かって降り、居木橋を渡り、大崎ゲートシティを通り抜けて、大崎駅の向こうへ出ました。
大崎駅に降りたことがなかったし、駅までこんなビルがつながってるなんて、なんと近代的な街なんだ!と感心していたら、これがなんとまあ家の古い地図にも載っているではないの。聞けば、もう20年前にできたというのです。
なんていうか…五反田の駅が結構アナログな感じだったので、驚きました。

駅を抜けて、「百反通り」を歩き首都高2号目黒線を越えた辺りにある「蕎麦処あづまや」で昼食。うーん。これが老舗とうたっているツアーなんだけど、老舗か?明治40年。それはいいとしても、不思議な天ぷらそばでした。海老天のかわり?鶏の唐揚げ。鯖の天ぷら、普通はきすでしょう?さつま芋かと思えば、レンコン?イヤイヤ、(ヤーコン)の天ぷらだそうです。
お家でする天婦羅なら、まあ、ありかも?やったことないけど。老舗の蕎麦屋さんで出てくるのはちょっとなぁ。町のおそばやさんが、お昼の定食も出してるのか?オムライス食べてるお客さんもいたから。いいんだけどね、でも、「老舗の味」と銘打ってるツアーにはちょっとなぁ・・・。このお店に行くために、すごく回り道していったわけだし。というわけで、近くに行ってもお友達を誘うことはないなぁ。

さあ気を取り直して、首都高の下を歩いて再び目黒川を渡ります。
大和柳生藩下屋敷跡はその一部が(谷山公園)となって残っています。
目黒川沿いの桜並木を眺め、2か月先の様子をイメージしながら歩きます。
川沿いは切り立った崖です。そして、浮世絵にも描かれた太鼓橋。このあたりは「目黒雅叙園」いまはホテル雅叙園東京って変わったようです。この入り口付近が古地図にある明王院の場所だったようで、お七の井戸なんていうのも残っていました。

ここから行人坂を上った途中に「大圓寺」があります。
「明和の大火」はこの大圓寺から放火で始まって、日本橋の先まで燃えつくしたそうです。
被災者を弔うための「五百羅漢」もあります。
行人坂を上りきって、目黒駅に到着しました。けっこう歩きましたよ。


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