靖国問題

yasukuni.jpg著者:高橋哲哉
出版:ちくま新書
初版:2005.04.10.
紹介:二十一世紀の今も、なお「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については、いまも多くの意見が対立し、その議論は、多くの激しい「思い」を引き起こす。だが、その「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図るだけでは、何の解決にもならないだろう。本書では、靖国を具体的な歴史の場に起き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。(表紙扉より引用)
テレビで首相の公式参拝が問題になるたびに、アジア諸国の反発を考え「なんで意地になって参拝をするんだろう?」と不思議には感じていたが、そもそも「靖国神社」がどういう性格のものなのか?という事は良く知らないのであった。
私にとって「靖国神社」は祖父母の家から歩いていける比較的身近で大きな神社であったに過ぎない。小さな時に初詣に行った記憶もあり、大学時代は花見に出かけ、社会人になって会社の仲間と初詣をした記憶もある。いやいや、結婚してから子供を連れて行った事もある。ただ単に、明治神宮ほど混まず、交通の便もよいので、そこに祭られているものが何なのか?などと、よく考えたことはなかった。
「戦争で命を落とした人」という認識はあったかな?でも、戦争をした人が神様になってるとは知らなかった・・・
そういえば、祖父は満州に行って帰ってきた。祖父母にとっては、まさしく「靖国神社」だったのかもしれない。それでは私の父母にとっての「靖国神社」はどうだったのだろう?誰かが祭られているのだろうか…?今度聞いてみよう。
靖国神社は戦争の犠牲者を追悼するところではなく、国のために戦って亡くなった軍人を神として英霊として祭る神社であった。したがって、空襲で亡くなった人たちはその対象ではないのだ。しかも、この戦争は大東亜戦争以前の日本の侵略戦争を行った軍人たちも祭られている。国のために天皇のために戦い、そこで死ねば栄誉の戦死となり、残された遺族は、その死を悲しむのではなく栄誉の遺族となる。その連鎖が、戦いに赴く兵士を次々と送り出すことになる。そのために「靖国神社」は必要な国家機関だったのだ。
「A級戦犯合祀」の問題は「分祀」しようというのは事実上無理で、たとえされたとしても、それは政治的決着にしか過ぎない。「A級戦犯」だけに戦争責任があるのではない。
宗教法人から特殊法人にすると、「靖国神社」としての存在が成り立たない。
たとえ、宗教団体でない「追悼施設」を新たに作ったとしても、その施設をどのように使うか?その政治姿勢によって、「第二の靖国」が作り上げられる。
国家が「不戦の誓い」により「脱軍事化」に向けた努力が続けられない限り「第二の靖国」を防ぐことは出来ない。と主張する。
なるほど、いろいろな問題をはらんでいる「靖国神社」なのだ…
こういった「新書」というものは、えてして読みにくいという先入観を持っていたのだが、そうでもなかった。


コメント

靖国問題 — 1件のコメント

  1. 掲示板に書き込み制限をかけていましたが、ついでのことブログにしました。過去ログをアップしています。
    ブックマークもさせてもらっています。またついでのおりにでも、ログインしてスレッドお願いします。
    ログインのIDとパスワードはHPのほうにおいております。
    よろしくね。

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