コツコツ、進めてまいりました。お花のラグ・・・
ようやくパーツを刺しおわりまして、いよいよ背景を残すのみとなりました。
どうでしょうか。
なんか・・・いい感じになってきたような気がします。
10日。明治座に「夫婦漫才」を見に行って来ました。
大地真央さんと中村梅雀さんが主演です。
忘れていたような懐かしいヒット曲や、懐かしい映像も挿入されて、
昭和の歴史を思い出させるような、楽しく心温まる、楽しいお芝居でした。
明治座の幟・・・国技館みたいですねぇ~
お芝居が始まる前に・・・縁日みたいな売店で、あれこれ試食して明治座土産を買うのがお楽しみです。
幕間にはお食事を予約。休憩時間30分の間に食べるので、これくらいかしらね。「錦」です。
都営地下鉄、浜町駅から電車で帰ります。(・・・乗換駅で降り損ねました。)
さあ、午後の1番は「伝馬町牢屋敷跡」いまは、「十思公園」となっています。処刑場の跡地は購入する希望者がなかったということで、今は、その霊を弔うお寺になっています。
あの松下村塾の吉田松陰が政治犯とはいえ、ここで処刑されていたということで、驚きました。享年29歳。知らないことが多いなあぁ・・・
隣にあった十思小学校は統廃合で今は高齢者施設とかの区の施設になっていますが、「十思スクエア」の中に、牢屋敷の模型が展示されています。2階には温泉?銭湯もあります。江戸の町に広がっていた水道の樋も、ここで遺構を見ることが出来ます。なかなか興味深い地域です。
ここに通っている道が平成14年に「時の鐘通り」と命名された通りですが、江戸城西の丸にあった鐘が、将軍が「うるさい!」という理由で、こちらに移されたんだそうです、ほ~。
(今回のガイドさんのお話は盛りだくさんで面白かった)
日本橋室町界隈は、三越やCOREDO室町や、YUITO、日本橋三井タワーなどがあるので、なんどかランチに出かけていましたが、その内側に神社があるって知りませんでした。
いつも、地下鉄から地下道を通って、ビルのお店に行ってたので・・・
この地域の再開発の時に、昔からこの地にある「福徳神社」(芽吹き神社)が中央にシンボルとして再建されたそうです。そういえば、CMでこの場所がよく出てましたね。これも知らなかったわ~。
三越と三井記念館の間の通りは「江戸桜通り」というそうですが、見ればどちらも古い建物、三越のライオンは今、真ん中から少し外れてるけど、昔は中央で、左側が増築されたせいだとか、
中央にある、大きな像が中央からずれているように見えるのは、実は昔の玄関は横の江戸桜通りだったので、その正面に作ったとか…知らないことがいっぱいです。
その奥の日本銀行は今改装中で、その先が常盤橋です。このあたりに堀の名残が見えます、
東京駅に向かって呉服橋を渡り、東京駅の近くにある「北町奉行所跡」の遺構を見学。
この呉服橋の角に2027年完成予定の日本一高いビルができるそうです。まだだいぶ先ですね。
JRの線路の下を通って、大手町の通りを大手門に向かって歩きます。右側に、以前通った「おおてもり」が冬らしく落葉樹の葉を落としています。
大手門から「東御苑」にはいれるところですが、この日は月曜日でお休み。
ここから皇居の周りを散策しながら歩きます。東京駅正面の行幸通り。馬場先門 祝田橋 遠くの二重橋を横目で見て日比谷公園へ。ここに日比谷見附の跡があります。
大江戸・・・広いですねぇ。これで、冬の4回シリーズは完歩しました。
2月4日。春の陽気の中、古地図の散歩4回目に行って来ました。
半蔵門線「清澄白河駅」→清澄庭園(下総国関宿久世家の下屋敷跡)→芭蕉庵の古跡(萬年橋)→清洲橋→東京水天宮→小野次郎衛門屋敷跡→<人形町の街を歩く>→伊勢重(昼食)→伝馬町牢屋敷跡→<日本橋室町界隈散策>→常盤橋→大手御門→皇居外苑→祝田橋→日比谷見附跡→有楽町
(小さな地図をクリックすると大きくなります。戻るときは←ボタンでもどってください。この先は写真をそのまま載せます)
え~と、清澄白河駅から日比谷公園まで・・・ってふつう歩くかぁ?という感じです。
地図にしても、やっぱり長いですね。ざっと20000歩になりました。古地図も、いつもは2枚ですが、今回は3枚になりました。
もちろん、行く前には手持ちの古地図と現代地図。ネット検索でにわか勉強してからでかけます。今回私が一番気になっていたのは「伝馬町牢屋敷跡」今は「十思公園」になっています。
清澄庭園 以前一度訪れたことがあります。
紀伊国屋文左衛門屋敷跡→関宿藩久世大和守の下屋敷→岩崎彌太郎と持ち主は変わりました。全国の名石が庭に並べられています。大きな池が真ん中で、関東大震災の時には避難した人が多かったということでした。
この界隈には、錣山部屋、尾車部屋、高田川部屋と相撲部屋が並びます。
小名木川の1番目の橋「萬年橋」の近くに芭蕉の古跡や、稲荷があります。
古地図には隅田川を渡る永代橋と新大橋がありますが、昔はなかった「清洲橋」を渡ります。
おしゃれな橋だそうですが、ただいまオリンピックに向けて、改装中でした。清澄と中州を結ぶ橋で「清洲橋」だそうです。
橋を渡ると、中央区、高速道路の下の小さなお稲荷さんも、古地図の中州に描かれています。
水天宮のすぐ近くに、「小野次郎衛門屋敷跡」が古地図にありますが、武術の指南役の家だそうです。そして隣の水天宮は明治以降に有馬家が移転して、お宮を移したので、これも古地図にはありません。「戸田熊之丞」とある場所です。
交差点から水天宮の外側を見るとこんな感じです。
人形町の通りを散策します。からくり時計がちょうど12時に動き出しました。
このあたりには、浅草の方に移転する前の「元吉原」があった地域だそうです。歌舞伎の中村座とか…江戸の繁華街、歓楽街だったのですね。人形町通りをそれて、「大門通り」あるきます。
江戸通りに出て、創業1869年の「伊勢重」ですきやき小鍋仕立てのお昼をいただきました。
散策も一休み。ここでだいぶ歩いた感じがありました。ここで10000歩。
今日は、高幡不動の初不動大祭とだるま市があるということで、足をのばしてきました。
縁日とあって、たいそうな人出です。
仁王門と不動堂は重要文化財。同じく4mもある不動明王像も見てきました。
ちなみに、だるまは高崎から売りに来ているそうです。
往路は武蔵野線・南武線・京王線と乗り換え、ずいぶん遠いところに来た気分でしたが(日野市でした)
帰りは新宿まで特急で30分ほどで「あら、近いのね。」という感じでした。
高幡不動駅周辺は大変な賑わいでしたので、新宿まで戻ってお昼にしました。
東急ハンズに行って、食事用のはさみとキッチンバサミを購入しました。
食事用のはさみは、義母用に購入したものと同じものを実家用に買いました。お皿の上のお肉や、お寿司などを一口大に切ることが出来ます。
キッチンバサミは、今使っているものがもう30年以上になるし、分解して洗えないので、新しく買ってみました。
まな板が要らないって、書いてありますが、へ~。どんなもんでしょうね。
26日、土曜日。東京ドームで開催されているキルトフェスティバルに行って来ました。
毎年のことですが、大賑わいです。地方からバスツアーで来る方もいらっしゃるし、キルトをされている方はもちろん、私のように、見るだけで楽しい人も・・・。球場の階段を上り下りできないとダメなので、元気でないといけません。
中には、奥様に連れてこられた男性が、椅子に座ってる・・・なんていう光景も。優しいですねぇ。
私たちは、しっかりマスクをして、見学です。
今年もパートナーシップキルトだけ参加しました。
毎年、布や糸、いろいろほしくなって買い物するのですが、今年は無し。実は去年買ったものが一つも作品になっていないのです。反省を込めて・・・。今年は見るだけ。
ところが、家に帰って来て、「あ!!」ちょっと面白い糸のお店があって足を止めたのに、あのお店の糸、ちゃんと見て買って来ればラグに使えて面白かったかも・・・。っと思ったのは今日になってから・・・。遅いって。
全部の作品とお店を見るのは、体力的にも無理なので、興味のあるところだけ見てきました。
お昼は、崎陽軒のお弁当。私はチャーハン弁当をいただきましたが、写真を撮るのを忘れて食べてしまったので、友人のお赤飯弁当を撮影してきました。お弁当を食べながら、「ちょっと久しぶりね、お正月はどうしてた?」「前に買ったキット。完成した?」なんて言うおしゃべりをしてきたのでした。
今年は何か形にしようね。とお互いを励ましあいながら帰ってきました。楽しかったわ。
21日、第3回目の古地図で巡る旅に行って来ました。
今回は、あらかじめ古地図や現代地図を眺めながらどのルートを歩くのか想像を巡らせ、色々ネット情報を検索してから出かけました。
五反田駅→松平内蔵頭(池田家下屋敷跡)→宝等寺→松平陸奥守(伊達家下屋敷跡)→御殿山→蕎麦処あづまや→大和柳生藩下屋敷跡→目黒川沿いを歩く→太鼓橋→目黒雅叙園→大圓寺→行人坂→目黒駅
歩いて、19000歩くらいでした。
五反田駅集合。まず、ねむの木の庭(皇后美智子さまの生家跡)を訪ねました。次に池田山は池田家下屋敷の庭の一部が公園として残されています。このあたり一帯が広大な屋敷跡だったようです。蠟梅がきれいでした。
桜田通りを渡り、雉子宮(雉子神社)へ。なんとうまい具合にビルの懐に建てられていました。
住宅街の路地を下って行くと、塀の上で仲良く日向ぼっこしているねこさんに遭遇。
松平陸奥守(伊達家下屋敷跡)は現在「清泉女子大」の敷地あたりになっています。
どこも小高い山の上です。
坂を下って、広い通り(昔はソニー通りと言ったらしい)を渡った先のビルに「容器文化ミュージアム」というところがあって、そこが今回のシティガイドさんの縁の会社ということで、寄り道の見学とトイレ休憩をしましたが、なかなか面白いミュージアムでした。
そこから左に向かって御殿山小学校。その向いあたりが御殿山の城跡のようですが、江戸の大火でお城は焼け、あたり一帯が御殿山と言われています、近代はソニー本社があった場所らしいです。
御殿山の一角には以前訪れた「原美術館」もありますし、大使館や昔吉川英治が住んでいたという邸宅もありました。御殿山通りは、ちょっとひっそり。
御殿山通りを目黒川に向かって降り、居木橋を渡り、大崎ゲートシティを通り抜けて、大崎駅の向こうへ出ました。
大崎駅に降りたことがなかったし、駅までこんなビルがつながってるなんて、なんと近代的な街なんだ!と感心していたら、これがなんとまあ家の古い地図にも載っているではないの。聞けば、もう20年前にできたというのです。
なんていうか…五反田の駅が結構アナログな感じだったので、驚きました。
駅を抜けて、「百反通り」を歩き首都高2号目黒線を越えた辺りにある「蕎麦処あづまや」で昼食。うーん。これが老舗とうたっているツアーなんだけど、老舗か?明治40年。それはいいとしても、不思議な天ぷらそばでした。海老天のかわり?鶏の唐揚げ。鯖の天ぷら、普通はきすでしょう?さつま芋かと思えば、レンコン?イヤイヤ、(ヤーコン)の天ぷらだそうです。
お家でする天婦羅なら、まあ、ありかも?やったことないけど。老舗の蕎麦屋さんで出てくるのはちょっとなぁ。町のおそばやさんが、お昼の定食も出してるのか?オムライス食べてるお客さんもいたから。いいんだけどね、でも、「老舗の味」と銘打ってるツアーにはちょっとなぁ・・・。このお店に行くために、すごく回り道していったわけだし。というわけで、近くに行ってもお友達を誘うことはないなぁ。
さあ気を取り直して、首都高の下を歩いて再び目黒川を渡ります。
大和柳生藩下屋敷跡はその一部が(谷山公園)となって残っています。
目黒川沿いの桜並木を眺め、2か月先の様子をイメージしながら歩きます。
川沿いは切り立った崖です。そして、浮世絵にも描かれた太鼓橋。このあたりは「目黒雅叙園」いまはホテル雅叙園東京って変わったようです。この入り口付近が古地図にある明王院の場所だったようで、お七の井戸なんていうのも残っていました。
ここから行人坂を上った途中に「大圓寺」があります。
「明和の大火」はこの大圓寺から放火で始まって、日本橋の先まで燃えつくしたそうです。
被災者を弔うための「五百羅漢」もあります。
行人坂を上りきって、目黒駅に到着しました。けっこう歩きましたよ。