昨日借りてきたもう一本がこれ。上映中からちょっと気になっていた作品です。
若い頃、海に飛び込んで脊髄を損傷したために、首から下が不自由となった主人公が26年間介護されて生きてきた。しかし、人間としての尊厳を守るために、尊厳死を裁判で勝ち取ろうと訴訟を起こした。
自分自身の人生のために死を選択しようとする主人公と、自分たちの生活を犠牲にして介護を続けてきた家族たち。家族として生き続けて欲しいと願うことは、主人公にとっては指図されていると感じてしまう。
尊厳死をめぐる裁判が公になり、主人公への応援、家族に対する非難など、さまざまな反響がでる中、苦悩する主人公と家族たちの姿が浮き彫りにされる。
自分自身の意思をもってする尊厳死。そして、尊厳死さえ選択できなくなる未来が待っているとしたら・・・いろんな思いが交錯しました。
朝から冷たい雨が降っている。寒くてジムに行く勇気が出ないので、サボってしまった。だけど、今日はビデオDVDが105円の日!それじゃぁ行かなくっちゃ!という訳で借りてきました。「アイランド」
汚染された世界から守られている人間たち。かれらは夢のアイランドに行くことを切望している。しかし、真実は人間が自分の体の保険のために作ったクローン(製品)だったのだ。契約者はクローンは植物のように臓器を栽培していると思わされている。クローンが現実を知ったとき・・・
逃げて、追いかけて、スリルとアクションが満載。しかしだ・・・ラストはあれでよかったのか?クローンを作ることの是非もそうだが、解放された彼らが、その後どうなっていくのか?そっちの方がもっと気になる映画だった。
著者:阿保順子
出版:岩波書店
初版:2004.02.20.
認知症患者間の会話は成り立っていない、しかし大切なのは、会話をしている雰囲気を共有すること。繰り返される行動パターンの中にそれぞれの生きてきた歴史や性格が凝縮されている。
認知症のお年寄りにとって、こうした病棟で集団生活を送るのと、家庭で家族と過ごすのとどちらが幸せなのだろう?家庭の中に閉じ込められ理解されず、介護する家族がストレスで消耗し、楽しい雰囲気さえ感じることが出来ないのなら、家族と認識できない他人といるよりは、同じ認知症同士でそれぞれの世界を重ね合られた方が幸せかもしれない。
認知症の一見不思議な言動を、客観的にとらえ、その世界を受け入れることができれば、家庭介護もうまくいくのだろうか?難しい問題だ。
著者:久坂部羊
出版:幻冬舎
初版:2004.11.25.
医療ミスの告発・裁判の話かと思ったら、実は日本の高齢者化を食い止める秘策の話でもあったのです。
研修医の診断ミスなど医療過誤については気になることが多い。しかしそれよりも、日本社会の高齢化を招いたのが医療の無計画な延命治療研究の結果だという指摘がちょっと恐ろしかった。PPK(ピンピンコロリ)誰だって年を重ねて周りの人に迷惑かけることなく、その生涯を終えたいと思っている。だからといって寿命を国家統制されるのはまた別の問題だ。
投げかけられているテーマも興味深いし、登場人物と話の展開も面白くひきつけられる。いろんなことを考えさせられた。
著者:里美蘭 原作:三田紀房
出版:講談社文庫
初版:2005.11.25.
偏差値30で東大を目指すなんて…ありえないだろう?と思ったら、そこで終わりなのかもしれない。読んでいると受験生なら勉強のテクニック・ノウハウを試したくなるだろうな。技術だけでなく、なぜ勉強をするのか?何故、東大なのか?建前だけではなく、それぞれの置かれる利害関係も含めて、書かれてるところがなかなか面白い。コミックも面白そうだけどノベライズの続きが楽しみ。
テレビを見たのは校庭に「ドラゴン桜」を移植するワンシーンだけだった。テレビも見ればよかったなぁ。
学生時代の友達と5年ぶりくらいに集まりました。
受験期の子供もいる年代ですが、集まれば、すぐに昔に戻ります。
場所はKIHACHI銀座店、ここで「平日ランチ限定・4人集まればプティパーティプラン」を予約しました。
ゆっくりお話も出来たし、楽しいひと時でした。
3日間、ジムが館内整備とやらで休館だったせいで、久しぶりのジムは盛況。
私も運動不足が気になって、恐る恐る体重計に乗りましたが・・・
・・・よかったぁ~。恐れていたほどではなかった。
という訳で、またがんばろう!と久しぶりに汗をかいた一日でした。
今日のプログラム 〈バランスボール〉
大きなボールの上に乗ってバランスをとりながら、体の筋肉を鍛えます。
見た目よりきつかったりする・・・
重松清の原作を映画化。
ハマとオキ。田舎の小さな村での反目しあう地域。そんな中で身内から犯罪者が出たら?
崩壊してゆく家庭・地域学校にもにも居場所をなくし・・・村を捨て逃げていくその先に、身を潜めてもそこに居場所は見つけられるのか?
教会の神父と・ともだちのエリと・アカネ・・・誰もが自分の力では逃れられない宿命を背負って、生きている。
あの、けっこうズッシリとした小説がどんな映画になるのか? 気になって見てしまいました。
ちょっと重いかな…と、懸念しましたが。実際テーマは悲惨なのですが、修二の心がからっぽじゃないところが救われます。
両親の自殺とか、置き去りとか…子供にとって、よりどころがなくなって、もうどうしようもなくなったときにその状況を子供はどう乗り越えたらいいのだろう。エリにしても、シュウジにしても、これだけのものを背負わせた親の責任が大きく私にのしかかる。シュウジにはまだ希望が残っていたはずなのに。
著者:高橋哲哉
出版:ちくま新書
初版:2005.04.10.
紹介:二十一世紀の今も、なお「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については、いまも多くの意見が対立し、その議論は、多くの激しい「思い」を引き起こす。だが、その「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図るだけでは、何の解決にもならないだろう。本書では、靖国を具体的な歴史の場に起き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。(表紙扉より引用)
テレビで首相の公式参拝が問題になるたびに、アジア諸国の反発を考え「なんで意地になって参拝をするんだろう?」と不思議には感じていたが、そもそも「靖国神社」がどういう性格のものなのか?という事は良く知らないのであった。
私にとって「靖国神社」は祖父母の家から歩いていける比較的身近で大きな神社であったに過ぎない。小さな時に初詣に行った記憶もあり、大学時代は花見に出かけ、社会人になって会社の仲間と初詣をした記憶もある。いやいや、結婚してから子供を連れて行った事もある。ただ単に、明治神宮ほど混まず、交通の便もよいので、そこに祭られているものが何なのか?などと、よく考えたことはなかった。
「戦争で命を落とした人」という認識はあったかな?でも、戦争をした人が神様になってるとは知らなかった・・・
そういえば、祖父は満州に行って帰ってきた。祖父母にとっては、まさしく「靖国神社」だったのかもしれない。それでは私の父母にとっての「靖国神社」はどうだったのだろう?誰かが祭られているのだろうか…?今度聞いてみよう。
靖国神社は戦争の犠牲者を追悼するところではなく、国のために戦って亡くなった軍人を神として英霊として祭る神社であった。したがって、空襲で亡くなった人たちはその対象ではないのだ。しかも、この戦争は大東亜戦争以前の日本の侵略戦争を行った軍人たちも祭られている。国のために天皇のために戦い、そこで死ねば栄誉の戦死となり、残された遺族は、その死を悲しむのではなく栄誉の遺族となる。その連鎖が、戦いに赴く兵士を次々と送り出すことになる。そのために「靖国神社」は必要な国家機関だったのだ。
「A級戦犯合祀」の問題は「分祀」しようというのは事実上無理で、たとえされたとしても、それは政治的決着にしか過ぎない。「A級戦犯」だけに戦争責任があるのではない。
宗教法人から特殊法人にすると、「靖国神社」としての存在が成り立たない。
たとえ、宗教団体でない「追悼施設」を新たに作ったとしても、その施設をどのように使うか?その政治姿勢によって、「第二の靖国」が作り上げられる。
国家が「不戦の誓い」により「脱軍事化」に向けた努力が続けられない限り「第二の靖国」を防ぐことは出来ない。と主張する。
なるほど、いろいろな問題をはらんでいる「靖国神社」なのだ…
こういった「新書」というものは、えてして読みにくいという先入観を持っていたのだが、そうでもなかった。
著者:恩田陸
出版:集英社
初版:2005.06.10.
紹介:時代の変わりゆく混乱が近づく中で、「正義」の進む方向が見失われていく気配。旧家・槙村家に出入りする人々と、不思議な能力を持つ一族「春田家」そして、お屋敷の次女聡子様との関わりが、一人の少女の目を通して語られる。
先のことが見える「遠目」の能力を遺伝として持つ聡子様。「お客様がきた」「雨が降る」その予見の通りに…。
戦争で多くのものが失われ、自分が生きてきたことの意味を問いかける。
「光の帝国・常野物語」を読んだのが1999年…すっかり忘れている。
常野物語では「エンドゲーム」というのもでてるらしいので、読んでみなくては。