有限と微小のパン

著者:森博嗣
出版:講談社
初版:1998.10.05.
紹介:日本最大のソフトメーカ「ナノクラフト」の経営するテーマパークを訪れたN大生西之園萌絵と友人たち。そこでは「シードラゴンの事件」と呼ばれる死体消失があったという。彼女らを待ちかまえていたかのように事件は続発。すべてがあの天才の演出によるものなのか!?全編にみなぎる緊張感!最高潮森ミステリィ!
コメント:犀川・萌絵シリーズの最終章?
第一巻の「すべてがFになる」のつづきともいえる作品でした。
犀川先生の推理と、真賀田四季との目に見えないつながりが、読者と萌絵ちゃんを不安にさせます。しかし、今回も森ミステリィに最後でひっくり返されてしまいましたわ。

アトンの娘

著者:里中満智子
出版:小学館ビックコミックス
初版:1994.02.20.
紹介:舞台は古代、第18王朝のエジプト。
神をめぐって、様々な欲望と利権が渦巻く国家。
そんな中で、十代前半同士で国家の最高位についた少年王と少女妃、アンケセナーメンとツタンカーメンの苦悩や喜びの物語。国家にとって、人間にとっての、本当の神とは何かを問いかけつづける中で、二人は一人の大人として成長を続ける。
そして、エジプト王朝も彼女達とともに歴史の運命に操られていく。(表紙裏より引用)
コメント:素人には分かりづらい、エジプトの歴史の一考察がコミックで登場。ツタンカーメンの生きたあの時代が、あの頃の人々の信仰が、よりどころが、そして苦悩と喜びが伝わってくるような気がします。
しかし・・・最初娘が読んだときは「この本・・・アヤシイ」って(笑)

ゾマホンの本

著者:ゾマホン・ルフィン
出版:河出書房新社
初版:1999.09.20.
紹介:TV「ここが変だよ日本人」に出演中のゾマホン・ルフィンの本。
西アフリカ「ベナン共和国」から、留学中の彼が見た、日本。そして自国ベナンの植民地化の歴史。彼の生活など、今まで知らなかった「ベナン」=植民地化されたアフリカの抱える様々な問題点と、現状が紹介されています。
日本に来て、ベナンと日本の共通点を探り、祖国ベナンに今一番必要なのは教育だという考えに至る。現在はアフリカで学校を作るために、勉強中。
コメント:今までまったく知らなかった「ベナン」にはじめて出会いました。今の日本人が大切に引き継いでいる伝統・文化。欧米化への危惧。彼の見た日本は、「変」なのだが、その中にも日本のすばらしさ、見習うべきところも多いという。その点はちょっと嬉しかった。その反面。黒人・外国人にたいする差別意識などもかなり耳が痛い部分がある。
飽食の国日本にいて、「世の中そんなに甘くない」と自らの生活を律し、ベナンのためにがんばる姿は、とても感心させられます。日本の開発途上国にたいする援助の仕方も、本当にその国のためになるような、きめ細かい援助が必要だと思いました。

数奇にして模型

著者:森博嗣
出版:講談社
初版:1998.07.05.
紹介:那古野市内で開催された模型交換会で、モデルの首無し死体が発見された。死体と共に密室の中で昏倒していたのは、大学院生、寺林高司。彼には同じ頃に起きていた女子大生の絞殺事件の容疑もかけられていた。もうひとつの事件も、死体が見つかったのは「密室」の中。犀川創平、西之園萌絵の師弟が事件の謎に挑む。(裏表紙より引用)
コメント:おっと!久々の謎解き!今回は、萌絵ちゃんのまわりにでてくる登場人物が、なかなかの活躍で、おもしろかったですね。トリックは?またやられてしまいました。だってねぇ・・・犯罪には常識は通じないのだ!
いやー・・・危なかった。萌絵ちゃん。危機一髪です。

自閉症だったわたしへ

著者:ドナ・ウィリアムズ
出版:新潮文庫
初版:2000.07.01.
紹介:わたしってそんなに「変でおかしな子」なの?幼い頃から、周囲の誰ともうまくつきあうことができず、いじめられ、傷つき苦しみ続けた少女───。家族にも、友だちにも、学校にも背を向け、たった一人で自分の居場所を求めて旅立った彼女が、ついに心を通い合わせることができる人にめぐりあい、自らの「生きる力」を取り戻すまでを率直に綴った、鮮烈にきらめく、魂の軌跡の記録。(裏表紙より引用)
コメント:自閉症というタイトルで、ちょっと構えて読み始めたのですが、読んで良かったです。今までよくわからなかった、自閉症と言われる人の、心が少しでもわかるような気持ちになりました。本の中で「優しさや、思いやりが私を傷つける」と言う部分があって、そういう点は私たちにはとてもわかりにくい点だと感じました。
むかし娘が小学校の1年生に入学したときに、自閉症のお友達と同じクラスになりました。娘は、自閉症と言うことも知りませんでしたが、その友達がいろんなことを良く知っていたり、絵が上手なことに、いつも感心していました。席はいつもその子のそばで、お誕生日会に行ったり来たりしてました。彼は引っ越してしまったけど、どうしているかな?

視覚ミステリーえほん

著者:ウォルター・・イック
出版:あすなろ書房
初版:1999.05.25.
紹介:この本の写真は、様々な模型を作って撮影したものです。模型は、うまく錯覚が起こるように調節しましたが、写真そのものはカメラの前の物体を忠実に再現したものです。あとで手を加えるようなことはしていません。
 この本は“視覚”のゲームです。みなさんはこのゲームで、自分の観察力をみがいてください。人によっては、錯覚が起こりにくいものがあるかも知れません。また、どのようにして錯覚が起こるのか、わからないものもあるかも知れません。おもしろいことに、誰にでも同じように錯覚が起こるわけではありません。人によってちがいがあるのです。なぜそうなのかは、専門家にもまだ完全にはわかっていません。
 ですから、みなさんは、それぞれの感覚で“体験”してくれればいいのです。この本は、知能テストではありません。視覚というミステリーへの遊びにみちた“入り口”なのです。
「この本について」より引用
コメント:エッシャーの不思議な絵をご存知ですか?
入り組んだ階段のある家、たった三段階段を上がっただけなのに二階に上がってしまう建物、水がいつのまにか上に向かって流れる絵など。すごく不思議で迷ってしまうような絵です。
そんな絵の世界を写真にした絵本です。後ろの方にちゃんと種明かしものっているから、思わず納得してしまいます。遊び心のある絵本って、いいですよね。

今はもうない

著者:森博嗣
出版:講談社
初版:1998.04.05.
紹介:電話の通じなくなった嵐の別荘地で起きた密室殺人。二つの隣り合わせの密室で、別々に死んでいた双子のごとき美人姉妹。そこでは死者に捧げるがごとく映画が上映され続けていた。そして、2人の手帳の同じ日付には謎の「PP」と言う記号が。名画のごとき情景の中で展開される森ミステリィのアクロバット!(裏表紙より引用)
コメント:ネタバレになるから、詳しくは書けないんだけど、なかなかうまくできてますね。すっかり森さんにだまされてしまいました。
えー!?って言う感じで読み終わってから、もう一度見返してしまいました。でも、森さんぽくっておもしろかったです。

仮面学園殺人事件

著者:宗田理
出版:角川文庫
初版:1999.08.25.
紹介:ある日、中学校に仮面をかぶった生徒が登校した。驚いた教師は、仮面を取るように説得するが、少年ははずさない。その少年は仮面を付けてすっかり明るく変身してしまった。そんななか、別の中学生が、教師から仮面を取られるのを嫌って自殺した。この事件はマスコミで取り上げられ、全国の中学校で仮面が大流行する。
有季と貢は、その裏側にある真相を探るために「仮面集会」に潜入する。そこに登場した謎の少年。そして殺人事件。少年はなぜ仮面をかぶるのか?有季と貢を驚嘆させ、事件は意外な結末へ。(裏表紙より引用)
コメント:宗田理の「2年A組探偵局」シリーズ。
仮面を付けることで、ふだんとは違う自分になれる。言えないことが言えるようになる。そして自分がなりたいものになれる。
本当にそうだろうか?この中で、実はインターネットの中でのEメールもそのような性格を持つと書いてあった。確かに、自分の素顔をさらさずに人と出会えるネットの世界は、まさに自由にどんな顔の仮面もつける事が出来る社会なのかもしれない。

初秋

著者:ロバート・B・パーカー
出版:ハヤカワ文庫
初版:1999.08.25.
紹介:離婚した夫が連れ去った息子を取り戻して欲しい──スペンサーにとっては簡単な仕事だった。が、問題の少年ポールは、対立する両親の間で駆け引きの道具に使われ硬く心を閉ざし何事にも関心を示そうとしなかった。
スペンサーは決心する。ポールを自立させるためには、一からすべてを学ばせるしかない。ボクシング・大工仕事・・・・・・スペンサー流のトレーニングが始まる。ハードボイルドの心を新たな局面で感動的に描く傑作! (裏表紙より引用)
コメント:あの少年をトレーニングしている場面では、思わず我が子も、お願いしたくなっちゃいましたね。それより、私が訓練した方が良いかな?ストーリーもなかなか面白かったです。少年の未来が明るく見えて、いいなあ!
だけど息子がバレーダンサーになりたいって言ったら、ちょっと考えちゃうかな?でもそういう風に思うようになるまでには、それなりの時間と積み重ねがあるだろうから、きっと理解してあげられるようになるんじゃないかな?考えが甘いかなぁ?でも、本当にそれで自立するのは、かなり厳しいでしょうね。

君たちはどう生きるか

著者:吉野源三郎
出版:岩波文庫
初版:1982.11.16.
紹介:著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か。それは、人生いかに生くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的認識とは何かという問題と切り離すことなく問われねばならぬ、というメッセージであった。(表紙より引用)
コメント:時代がかなりさかのぼっているにもかかわらず、今の時代にも通じるものがたくさんあります。社会や宇宙を小さな細胞の一部分のように感じる事は、私も子供の頃に体験しました。懐かしい気持ちです。