夢でなければ

著者:マルク・レヴィ
出版:早川書房
初版:2001.01.31.
紹介:ゴールデンゲート・ブリッジを望むサンフランシスコのアパートに移り住んだ建築家の青年アーサーは、入浴中クロゼットから歌声がするのを聞いた。クロゼットを開けると、そこには若い女性がいた。驚くアーサーにその女性は説明した。彼女の名はローレン。病院の研修医で、この部屋の住人だったが、自動車事故を起こして、自分の「本体」は病院で数ヶ月前から昏睡状態にあるという。つまり、いまここにいるのは、「本体」から抜け出た幽霊だというのだ。たしかにローレンの姿はアーサー以外の誰にも見えず、声も聞こえなかった。やがてローレンの話を信じるようになったアーサーは、彼女を救いたいと考え始める。だが、そんな彼に難問が。ローレンが安楽死させられることになったのだ。アーサーは周到な計画を立てて彼女の「本体」を病院から盗み出すことに成功、子供時代を過ごした田舎の家に隠れることになった。そこで一緒に暮らすうちに、ふたりの間にいつしか愛が芽生えてきた。だが、この奇妙な状態がいつまで続くか保証はなかった。しかも、警察が捜査をす・め、ふたりのもとに迫っていた・・・。(表紙扉より引用)
コメント:これね、そのうち映画になるみたいな気がする。
交通事故で植物状態になってしまった女性の遊離した「幽霊」と恋をしてしまうお話です。これ、なかなか良かったです。

恋するために生まれた

著者:江國香織 辻仁成
出版:幻冬舎
初版:2001.06.01.
紹介:大人になって、本当に良かったって思う。
大人じゃないと恋が出来ないから。  江國
恋が愛に変わっても、恋のような愛をしていたい。  辻(表紙扉より引用)
コメント:恋と愛の違いって、何かしら?なかなか大人の恋の話はおもしろい。
うーん、私って恋したことあったかしら?って言う感じになりましたが(笑)
「恋をするなら冬の打ち上げ花火のような激しくも刹那に満ちたこいがよいですし、愛ならば無償の愛が良い。(辻)」
束縛と嫉妬。「私以外の人を見ないでね」馬鹿者のようにいえるのが恋愛のすばらしさ。束縛は、するものでなく、されるもの。
「誰かの女」であることを自覚することは、束縛されていることであり、でも肯定的な意味で言えば、「その人の腕の中にいる」ということ。
「私はこの人に恋するために生まれた」だって、そう思いたいじゃない・・(江國)

黄昏の岸 暁の天 下 (十二国記)

著者:小野不由美
出版:講談社X文庫
初版:2001.05.15.
紹介:鳴蝕。山が震え、大地が揺れ世界が歪み、泰麒は、十の年までを過ごした蓬莱にいた。
帰りたい───。しかし、その術を知らない。
泰麒が異界でひとり懊悩する頃、戴国には謀反によって偽王が立ち、日ごと荒れていた。その行く末を案じ、泰台輔と同じ胎果である誼の陽子を頼り、慶国を目指した李斎は思う。麒麟がいなければ、真の王はあり得ない、と。
そしていま、雁国をはじめとする諸国の王と麒麟が、戴国のために立ち上がる!(表紙扉より引用)
コメント:久々の十二国記シリーズ。馴染みのない単語に、しばしとまどうがすぐにその世界へ入り込めてしまう。上下を読み終わって、まだ先が続いている。
麒麟はどうにか連れ戻すことが出来たが、これから戴は、どうなっていくのか?
続編が、とても気になります。

黄昏の岸 暁の天 上 (十二国記)

著者:小野不由美
出版:講談社X文庫
初版:2001.05.15.
紹介:登極から半年、疾風の勢いで戴国を整える泰王驍宗は、反乱鎮圧に赴き、未だ戻らず。
そして、弑逆の知らせに衝撃を受けた台輔泰麒は、忽然と姿を消した!
虚海の中に孤立し、冬には極寒の地となる戴はいま、王と麒麟をなくし、災厄と妖魔が蹂躙する処。人は見も心も凍てついていく。
もはや、自らを救うことも叶わぬ国と民───。
将軍李齋は景王陽子に会うため、天を翔る!
待望のシリーズ、満を持して登場!!(表紙扉より引用)
コメント:

舞姫通信

著者:重松清
出版:新潮社
初版:1999.04.01.
紹介:ラストシーンは、もう始まっているのかもしれない。人は、誰でも、気付かないうちに人生のラストシーンを始めている。17歳で死んだ(自殺志願)のタレント城真吾にとっては、16歳は晩年だった。城真吾は教えてくれた。人は死ねる。いつ。いつか。いつでも────。でも、僕は思う。僕の教え子の君たちの「いつか」が、ずっとずっと、遠い日でありますように。教師と生徒と、生と死の物語。(裏表紙より引用)
コメント:死を見つめる子どもたち。
双子の兄の自殺は、ずっとずっと僕を掴んで離さない。死んだのは、ほんとうに兄だったのか?何故、死んだのか・・・。

斎藤家の核弾頭

著者:篠田節子
出版:朝日新聞社
初版:1999.12.01.
紹介:「国家主義カースト制」に予って超管理社会となった2075年の東京。政府の謀略により長年住み慣れた家からの立ち退きを強制された斎藤家は、理不尽な転居命令に抵抗し、近隣住民と共に手製の核爆弾を武器に日本国宣戦布告する!明日を予言したスラップスティック小説の傑作。(裏表紙より引用)
コメント:これはもう大爆笑。あり得ない話なのに、何だかその辺に転がっていそうな話。
そして社会を痛烈に風刺しているし、ちょっと背中が薄ら寒くなっても来るのでした。

愛をする人

著者:堀田あけみ
出版:角川文庫
初版:1992.11.10.
紹介:悠子が一希に出会ったのは15歳。カレは家庭教師の大学生。まだ恋の意味も分からない春の出来事だった。
 八年後、再会した2人───年月は少女を女にかえていた。そして彼には婚約者の優子がいた・・・。
 2人のユウコの間で揺れる一希。1人のユウコは恋人、もう1人のユウコは愛人という道を選んだ・・・。
 恋人のいる人を好きになる・・・それは罪なことなのでしょうか。決して結ばれることのない愛、切ない愛を綴った恋愛物語。(裏表紙より引用)
コメント:まあ、なんて悲惨な主人公の生い立ちなんでしょう。ちょっとこう言うのは苦手ですねぇ・・。こういう状況下で成長してしまうと、やっぱり大人になっていく家庭で大きく影響が出てしまうのかな。お話とはいえ、なんで??という気持ちになります。
それにしても、まだ結婚もしていないのに、婚約者がいて、それとは別に愛玩具的な存在を容認する男って・・・(気持ち的にはそういう願望が合っても不思議じゃないけど)。妾腹の子だから、日陰の女でいいなんて悲しい。虐待を受けて育った子供が、大人になってまた自分の子供を虐待してしまうというのに似てる。そういうことはどこかで断ち切っていかないとなぁ。だけど、そうスパッと断ち切れないものを抱えている人間が多いってことなのかもしれない。哀しいけど・・・

さつき断景

著者:重松清
出版:詳伝社
初版:2000.11.10.
紹介:1995年、1月阪神・淡路大震災、3月地下鉄サリン事件、そして5月1日───。
神戸でのボランティア活動から帰郷したタカユキ(15歳)は惰性としか思えない高校生活に疑問を感じていた。電車一本の差でサリン禍を免れたヤマグチさん(35歳)は、その後遺症ともいうべき自己喪失感に悩んでいた。長女が嫁ぐ日を迎えたアサダ氏(57歳)は、家族団欒最後の日をしみじみと実感していた・・・。
そして、96.97.・・・2000年。3人は何を体験し、何を想い、いかに生きたのか。二十世紀末、6年間の「5月1日」からそれぞれの人生を照射した斬新なる試み。注目の山本周五郎賞作家が挑んだ日録小説の傑作・・・(表紙カバーより引用)
コメント:つい最近のことなのに、もうずっと記憶の遠くの方に行ってしまっていたさまざまなことを思い出しました。たまごっち・・・あんなに流行ったのにもう思い出すこともない。たった4年前のことなのにね。あの頃には携帯電話がこんなに普及するなんて考えても見なかったなぁ。
95年の5月1日。私は何を考えていたんだろう?

花のもとにて

著者:堀田あけみ
出版:角川書店
初版:1992.03.30.
紹介:憧れていた男がいる研究室。そんな心を見透かすように、亜々子は、忠告する。
もうすぐ私をティッシュぺーパーのように捨てる。
コメント:本を読む時って、登場人物の誰かに感情移入して読むときと、一歩離れて読むときがあるの。今回は3人の女性の誰にも入り込めなかった。
私は、この本を読んでいて、人称がどんどんかわっていくので最初ちょっととまどいました。主語がなくて始まるので、誰の言葉なのか「あれ?」って思ったり・・で、このお話の主人公は、誰なんだろう?
私としては、最終的には響子さんかなと感じました。
亜々子さんの生い立ちや生き方に関しては、確かに哀しい背景があるし、死を選んでしまったという結果については、なんかね・・・わからないでもない。そういう恋愛もアリかなと思う。
気になるのは、響子のほう。女性を好きになるって言う気持ちは、わかるの。
でも、死んでしまった彼女に、自分を同化させて行くというのは、けっきょく自己愛じゃないかなぁ。そして、復讐と嫉妬で、絡め取った虚偽の恋愛は、一番大切な自分自身をも欺いていることになるから、不幸だなあと思いました。
もちろんどんな恋愛を選択するかは、その人の自由だと思うけどね。いろんな恋に傷ついたり、失敗を重ねて行くのも、勉強だよね。と言うよりも、恋は傷つくことを恐れていちゃいけないような気もするのよ。でもまあ、こういう失敗(かどうかはわからないけど)は本の中だけで経験した方がいいかなぁ・・・なんて、娘を持つ母としては思ったりするわけです。だからね、本としてはとても興味深く読みました。
例えば、付き合っていることをまわりに秘密にする男の心理。とかね。

わたしたちのトビアス大きくなる

著者:ボー=スベドベリ
出版:偕成社
初版:1979.11.
紹介:わたしたちは前に「わたしたちのトビアス」という本を書きました、その本の中で、トビアスは特別な子だとお話ししましたね。なぜ、とくべつかというと、トビアスは障害児だからなんです。
 トビアスはもうじき3歳になります。この本では、トビアスが食べたり、おまるにすわったり、話したりなどふだん必要なことができるようになるために、わたしたち家族が、どんな手助けをしたかをかきました。(表紙カバーより引用)
コメント:トビアスが2さいのときに、お母さんが亡くなった。お母さんにかわって、お父さんがトビアスの面倒を見るようになった。そして、トビアスのことを書き続けることが、お母さんが望んだことだったのだ。
前回の本に比べると、筆者がかわったせいもあって、印象が大分違う。
いくぶん、説明文的になってしまうのはしかたがない。