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2008年4月24日

ジジ 永遠の眠りに

2月29日 ジジが永眠しました。
先日 四十九日の法要と納骨も終え、ようやく一段落ついたところです。

・・・・・・
2月28日
ジジの体力が落ちてきているので、家族が呼ばれました。

一週間前とあまり変わらない様子で、静かに寝ている。
ただ、微熱も続き、胃ロウも栄養が吸収されない。腸の働きも悪くなってきている。
点滴も、なかなかはいらなくなってきています。心臓も弱くなってきているし、
恐らく、あと一週間くらいで・・・

そういわれて帰ってきたのだった。

珍しく一緒に行ったババに、ジジがにやっと笑ったように見えたのは気のせい?
ただの筋肉のけいれんか?
「ジジが笑ってくれた。と思えば、それが真実」

あと一週間。3月になれば、もう少しでお誕生日ね。そのくらいまで頑張るんじゃないかな?

そう思っていた翌日早朝、電話で起こされた。「先ほどなくなりました」
急いで車で病院に向かう。昨日とあまり変わった様子もなく、なんだかまだ眠っているみたいだった。


悲しんでいる間もなく、遺体を引き取らなければならないので、バタバタと葬儀社に連絡を取り、斎場や日程の調整をする。
病院の支払いを済ませ、寝台車で仮安置の斎場へ

告別式の段取りを打ち合わせ、納棺だけは家族でその日のうちに行った。
次女が枕経を上げてくれた。きっとジジは喜んでくれただろう。

通夜・告別式とセレモニーは粛々と進んで行く。
お葬式に出たことはあるけれど、葬式を出す立場になったのは初めてで、本当にわからないことだらけだった。

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2008年2月20日

様子をみにいく

昨日院長先生から電話をもらった。
お正月と同じように、肺炎を起こし、心臓も弱くなってきている。
肺に水もたまってきている。
熱もあるので、抗生剤の点滴・・・をしています。

今すぐどうというわけではないけれども・・・

というわけで、様子を見に行った。
まだ一度も病院に行ったことのなかった長女も同行。

果して、病室に入っても、大丈夫かな?
看護士さんに様子を伺う。

抗生剤で熱は治まっている。珍しく目を開けて手に力を入れている。
看護士さんの声掛けには反応する。
朝は胃ろうをして、お昼は点滴をしていた。

いつも、あまり人を認識する様子が見られないのだけれど、
今日は、娘をじっと見つめているようだった。
娘の成人式の振袖ができた時に「きれいだな~」と感心したように
見つめていた姿を思い出した。
だけど、成人式にきものを着たときにはもう、「誰なのか?」成人式の
意味すらわからなくなっていたんだっけ・・・

早々に病室をあとにした。

2008年2月14日

熱が出てきた

ちょっとのことでは、いつも連絡のない病院から電話があった。

ここ、3日くらい、またお正月の時のように肺炎を起こしてお熱が出ています。
胃ロウをやめて、抗生剤などの点滴をして、肺炎の治療を行っています。
床ずれのお薬も使わせていただきます。

今すぐどうということではないらしい。
9日に、面会に行ったあとに具合が悪くなったのかしら?
そう思うと、会いに行くことを躊躇してしまう。

2008年2月 9日

早めにお引き取りください

雪の予報が出ていたので、予定を早めてジジのところへ行った。

先月分のお支払いを済ませて、病棟へ向かおうとすると、院長先生に会った。

「いま、風邪が流行ってきているんですよ。病棟へ行くときは、手の消毒をして
なるべく短時間で、お願いしますね。」

そうそう、入院している人はみんなお年寄りばかり、抵抗力もなくなっている。

ジジは、小さな床ずれができているようで、ウォーターベッドを使っている。
床ずれができないように、体位をこまめに動かしてもらっているようなのだけれど、
「上向が好きなようで、横にしてもすぐに上を向いてしまうようなんです」
というわけで、床ずれは後ろの腰辺りにできている。

痩せているので、骨が直接当たっている感じ。見た目には痛々しいのだが、
本人はさほど痛みを感じている様子ではないらしいと聞いて、ちょっと安心した。
痛みを耐えてるのだったら、辛いもの。

そういえば、ジジは家にいるときも、まるでお地蔵さまのように、
お行儀よくまっすぐ上を向いて朝まで眠っている人なのでした。

院長に言われたので、早々に退散です。

2008年1月 6日

「療養型・介護保険」→「治療型・医療保険」

ジジがお世話になっていても実はあまりきちんと理解していなかったのですが、この病院は 「療養型医療施設」ということです。という事は現在は介護保険が適用されているのですが、この制度は2011年までにほぼ全廃されるそうです。

それに伴って、4月からは「認知症治療病院」として、医療保険の対象となる病院に変わるそうです。

気になるのは、
①今の状態で入院を続けられるのか?
②費用がどのくらい変わるのか?ということです。

先に病院からいただいたお知らせでは、①入院はこのまま継続される。②費用は個人個人において試算をしている段階だが、おおむね変わらない。しかし、オムツ使用者はオムツ代金の負担が増える。というお知らせをいただきました。
トータルでどのくらいの変化があるのか?個々の試算については、後日お知らせがあるそうです。

療養型医療施設が病院でなくなってしまった場合。特養と同じように、熱を出したり肺炎を起こしたり、そういった異変があるたびに、一般の病院で受診したり、入院したりするのは、体力が落ちた本人にとってもかなりな負担になるはず。まして、認知症とあっては、介護抵抗や診療拒否の行動も見られるので、入院など受け入れてもらえないのだ。

認知症であっても、できる限り安心して、治療を受けられるような病院であってほしいと願う。

2008年1月 5日

新年を迎えて

ジジのところへいってきました。

まず、介護計画をうかがう。
色々と手を尽くしていただいているので一安心。
ただ、いつもベッドにいるようなので、気になっていたのだが、体調のよい時、1時間くらいは車椅子でみんなのいるスペースに出て過ごしているようだったので、安心した。

ベッドで眠るジジは、時々薄目を開けているみたいだけど、覚醒しているようには見えない。
先月来たときには、痰が絡んで苦しそうにしていたけれど、今日はのどの奥もきれいで、調子もよさそうに見えた。

しばらくそばにいると、歯を食いしばるようなしぐさ。手にも力が入っている。
「ジジ、怖い夢をみたの?大丈夫、みんないるからね・・・」

看護師さんに様子を伺うと、「ちょうどいいところへいらっしゃいました。今、院長を呼んで来ますから、直接お話を聞いたほうがいいと思います。」
???

12月頃から肺炎気味だったのですが、暮れの27日頃から熱が出ていたので、経管栄養をやめて、点滴をしていました。抗生剤も入れていますが、レントゲンを見ると、思ったよりよくないんです。
肺炎の影は、落ち着いているようですが、どうも、心臓が弱ってきているようです。
胃ろうの手術もして、できる限りの手を尽くしていますが、心臓が持ち直してくれるといいのですが・・・

うーむ。寝ている姿は、落ち着いているようだったけれど・・・
本人が痛みや苦しさはあまり感じていないようなので、それだけは救われる。

再び部屋に戻ると、ジジは静かに横になっている。
院長先生の元気な呼びかけには、反応してくれる。
おむつ交換など、何かをする時には、前もってわかるように説明して、恐怖心を取り除くように・・・介護抵抗が起こらないように・・・。スタッフの皆さんに感謝。

2007年12月 8日

久しぶりに、目覚めている?

先月いけなかったので、久しぶりにジジのところに行った。
14時くらいだったので、珍しく目を開けている。

相変わらずタンが苦しそうだけれど、看護師さんによれば、まだ自分でタンを切る力も物を飲み込む力もあるので、そのまま肺にたまってしまうことは少ないのだという。

相変わらず、介護を受けると、「なにするんだ!?」という様子で、手で抵抗しようとする。
まだけっこう力はあるみたいだ。会話にはならないけれど、声も出るし・・・
まあ、それなりに、元気みたいだった。

2007年11月 4日

要介護5へ

9月に申請していた、介護度見直しの結果が来た。
「要介護5」 やっぱりねぇ・・・

今月、ジジのところに行くのを中止した。  
去年、「ちょっとお熱が出てるんですけど・・・この間、誰か風邪をひいている人がいらっしゃいましたか?」と聞かれたのを思い出した。
「咳」がでるのだ・・・。また、あらぬ疑いをかけられても・・・

今月。ジジもインフルエンザの予防接種を受けるらしい。

2007年10月 4日

面接

今日は特養のかたが、病院までジジの面接と聞き取りに来てくださいました。
ベッドでいつものように口を開けてうつらうつらしているジジ。喉の奥には白くタンが絡まっているので、時々咳き込むのだが自力では吐き出す事も飲み込む事もできないので辛そうだ。もしかしたら、これがそのまま気管に流れ込んでいくのかもしれない。
時折目を開け、天井を見つめている。その視線の先に顔を出せば、「あれ?」と認める事はできる。

病院の相談員の方と、特養から相談員と看護師さんが見えて、ジジに関する聞き取り開始。
現在の体の状況、介護の仕方、ふだんの生活についてポイントを掴んで聞いていくので、そばにいる私にも、ジジが今いる状況がわかってきた。

この半年で思った以上に状況は進んでいるようだった。
微妙に続く微熱。時折37~38度になる。→点滴
タンの吸引→夜間も3回。
着替え、お風呂などの行動の理解ができないので→介護抵抗
生来の怖がり→機械浴は無理。
体重の低下・・・

面接ではタイミングよく目を覚ましていて、看護師さんの問いかけに珍しく言葉が出てきた。これには病院の人も、久しぶりだわ!と驚いていた。
むくみもなく、手を握ったり、する力はけっこう強い。ジジに声をかけながら、様子を見てくださった。

・・・・・
病院側
もっと体力が回復して、元気だったら、「ご自宅から近いし、特養が決まって良かったですね。」と喜んで送り出してあげたいのですが、療養の面で、現状ではとても心配です。

特養側
素敵な笑顔も見せていただけたし、「うちで、大丈夫ですよ。ぜひいらしてください。」といってあげたいところなのですが、夜中の吸引は、生活リズムを工夫する事で改善が見込まれる可能性はある。けれども、体重の急激な減少を見ると、肺炎によって体力を消耗させているようだ。せっかく特養にきてもらっても、またすぐ、「提携の病院に入院→よくなったら特養にもどる」ということを繰り返しそうな気がする。
特養では、様子を見ることしかできないし、点滴もできない。病院との移動も、負担になるかもしれない。
いずれにしても、主治医に報告して、介護現場とも相談して受け入れられるか決めることになります。

というお話でした。まあ・・・多分現状を見た私としても、無理だろうなぁ・・・と思いました。
けれど、今回特養さんのお話があった事で、たまに見に行っただけでは、まったくつかめなかったジジの現状が(看護師さんや相談員さんがいろいろと質問してくれたおかげで)よくわかりました。

遠いところまで、足を運んでくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。特養の方たちが皆さん本当に感じのよい方ばかりで、これもとっても嬉しかったです。

2007年9月29日

夜間吸引

ジジが入院している病院の相談員さんから電話があった。
特養の申し込みについて・・・
「このところタンが詰まって自力で吐き出せないので、夜間でもタンの吸引をしているのですが、こいう状況をお話しすると、特養の方で受け入れのお話がダメになるかもしれないのですが、どうですか?」

ああ・・・そうだったのか。確かに、昼間でもタンが絡んで苦しそうなときがある。でも、「熱も心配するほどじゃないし、安定してます」と、言ってたじゃない・・・
だけどこの間は、お祭りの日で、婦長さんとは話してなかったなぁ。

結果:特養に相談してみるけど、HPを見る限り「吸引=×」って書いてあった。対応できないってことだ。
近くに来れば、もう少し状況がわかると思ったけど・・・無理なんだ。しょうがないね。

病院には、「入院する以前に、特養の申し込みはしてあった。たまたま、先週(空き)が出て順番が来たという連絡があって、そういう話になったのだ」とお話した。
なかなか月一度の訪問じゃ、ジジの様子が見えてこないし・・・
けれど、今回の事があって、普段の生活の様子や病状の事を色々と考える事ができて、良かったかもしれない。これからは、せっかく行ったときくらい、ジジの様子を根掘り葉掘り聞いてこよう。電話で質問してもいいみたいだし・・・

確かに今の病院では、病室に居たまま、レントゲンの機械がコロコロと移動してくるし・・・
胃ロウのチューブ交換もやってもらえるし・・・お風呂も、機械浴ではなくて入れてもらってるようだし・・・
特養だとレントゲンひとつ撮るにも病院に行かなくちゃならないわけだから…ジジへの負担が大きいかもしれない。

しかし・・・胃ロウの手術をしたからといって、状況がそう良くなったわけではないな。
肺炎を起こすことが少なくなったけれど、もう、口で飲み込む力も吐き出す力もなくなったようだし…

まあ、とにかく、月曜日に特養に連絡を入れよう。

2007年9月16日

敬老&秋まつり

秋祭りのイベントがあるのいうので、ババを連れてジジのところに行きました。
真夏のような日ざしで、太鼓や踊りの人たちも大変そうですが、炎天下に出るお年よりも、体調が心配になるくらいの、いいお天気。

去年はジジも前庭に出て、お祭りを見たり、縁日を車椅子で回っていたのを思い出しました。
今年は、遊びに来た家族や孫もお祭りに参加できるように、食券やお祭りのチケットなども用意されて、病院も色々企画を考えているようでした。近くの保育園から園児も来ている様だったし・・・
暑さ対策のテントもいくつかでていました。元気な人たちは、家族も来て楽しんでいる様子でした。

でも、今年のジジは「いろう」だし・・・いつも午後は寝てるしなぁ・・・
やっぱり・・・病棟に行ってみるとお昼寝の最中でした。もっとも、この炎天下に外にでるのも心配です。
看護師によれば、ちょっと熱が高い時もあるけれど、おおむね安定しているようだった。

声をかけてみれば、目を開けるけれども、いぶかしげに眺めるだけ。
眠っているのならば、その方が楽なのだろうなぁ・・・
ここに来て1年。少しずつ少しずつできない事が増えて行く。
それでも、手の握る力は意外に強いので、ビックリする。
太鼓の音が聞こえるのか?無意識に手で拍子をとったりするのは、昔からで、ちょっと嬉しかった。

ジジが今どんな気持ちでいるのかは、想像もできないけれど・・・

帰りがけに言われた。「現在要介護度4ですが、胃ロウになっているので、5になる可能性があります。認定の変更願を出してください」
ホー。役所に行けばいいの?何が必要なんだろう?

2007年8月 4日

1ヵ月ぶりに

ジジのところに行った。
外は35度を越える 猛暑。けれども病院の中は快適だ。
もしも家にいたら・・・
いくらエアコンをつけても、送風口が開いているのが気になって、押さえつけて閉めようとしたり、作動中のランプが気になって消そうとしたり・・・暑い家の中での悲惨な状態が思い出される。

ジジは、午睡の最中だった。ベットのまわりには靴と車椅子。少なくとも寝たきりではなさそうだ。
担当の看護婦さんと、院長先生からお話を聞く。栄養状態もよく、声をかければ答えるし、笑顔も見られる。状況はいいですね。
確かに、顔や手のつやもいい。散髪も爪もきちんと整えられている。
家族などわからなくても、心穏やかに過ごせているのなら、これに勝るものはないとそう思った。
ジジの安定も、家族の心と生活の安定も、この病院によってもたらされているのだ。
感謝。

2007年7月 7日

状態はいいらしい。

7月のお支払いに出かけた。
ジジの部屋は、同じような状態のおじいさんが集まっている。
お昼を過ぎたところだが、斜めに起こしたベッドでうつらうつらしている。
口をあけているので、のとが乾くだろうなぁ。時々、タンが絡むような表情をする。

この間チューブを引っ張ってしまったので、今度はさわれないように腹巻をしてあるのだが、やはり気になるのか?手でゴソゴソと触っている。

看護師さんに様子を聞くと、その後胃ロウは順調で、肺炎を起こして熱を出す事もなくなってきた。肌の様子もきれいだし、指の動きも活発になってきた。話しかければ、声も出すし・・・。

うーん。そうか。病院としては、いい状態になっているというわけだ。
だけど・・・きっとベッドにいるときの時間が長くなっているんだろうなぁ。
ジジは、どんなふうに感じているのかなぁ。やっぱり、わからないから、困っているのかなぁ。

2007年6月28日

チューブを抜いちゃった

病院から携帯に電話が入った。
ちょっと目を放した隙に、「胃ロウ」のチューブを抜いてしまったのです。
このまま放置できないので、今は同じ太さのカテーテルをいれてありますが、新しいチューブを入れますがよろしいですか?

あ~。やっぱり・・・心配していた事が起きた。
というか、予想の範囲内だけど・・・

はい。お願いします。(というしかないのよ)

ところが、この器具の値段がけっこうするのですね。追加の出費がかさんじゃうということです。もしも、また抜いちゃったら、その都度これが加算されるの??抜かないようにするためには・・・
つなぎ服とか、拘束とか・・・そんなことになったら、かわいそうだし・・・
と、色々と、気に事はあるのですが・・・

だけど、チューブ入れなおさなくちゃね。
じじ、気になって引っ張っちゃったんだろうな。しょうがないよね。

2007年5月23日

もどりました。

5/9 入院
5/11 手術

術後の経過もよく、症状も落ち着いているので、
昨日退院しました。

入院していた病院も、戻った病院もとてもよくしてもらいました。
「○○さん~おかえりなさーい」
再入院した病院の手続きも終わり、一安心。

ジジも、心なしか安心しているように見える。
なにより、ジジの事を見守ってくれているスタッフ。
またお世話になります。よろしくお願いします。

2007年5月 5日

誤嚥性肺炎

病院から電話がかかってきた。
4月の中旬にも肺炎にかかって、点滴をしていたのだが、
また、熱が出て、肺炎を起こしている。どうも、誤嚥性の肺炎のようだ。

肺炎を繰り返すと、点滴だけになり、口から食事を取れなくなり、栄養が不足してしまうので、体力がある内に胃に直接栄養を入れる「胃ろう」の手術をしたほうがいいと思うので、いちど、先生の説明を聴きに来て欲しい。

というわけで、ジジのところに向かった。
朝、9:30に家をでたが、連休の真ん中・川越街道は空いていて、1時間で到着。
ベットで点滴を受けているジジは、点滴の針を抜いてしまう事もなく、静かに休んでいる。
1年前には、検査も、点滴も困難だったのに・・・

更に、「レントゲンですよ~」と大きな機械を病室に持ち込む技師。
なんと、レントゲン室に行くのではなくて、ベットで点滴をしたまま、上体の下にフィルムの板を差込んでいる。
そして、レントゲンの撮影機材が、ベットの上からジジに向かって進んで行くのだ。
「モバイル○○○」
すごいな~。やはりこういう移動が難しい患者さんを多くみている病院では、それなりの機器を配備しているのだ。これなら、移動に伴うストレスも軽減されるし、「何をされるんだろう?」と不安になるまもなく、検査が済んでしまう。

衣服も、みんな色違いだけれどおそろいなので、介護もしやすいし検査もしやすい。
広いドアは、ベッドごと移動できるし、大きな窓もあかるくて気持ちがいい。


院長先生の説明によると、こちらに入院して8ヶ月。だいぶ慣れてきて、落ち着いて穏やかな表情をしている。会話もできるし、お風呂やトイレなど、移動するときに歩く事もできる。このまま点滴を続けて体力が落ちてしまうのはかわいそうなので、栄養を取れるように「胃ろう」の手術をすすめたい。

手術をしても、口から食べる事もできるし、蓋をして、お風呂に入る事もできる。
手で引っ張ってしまうような心配もないそうだ。
手術はそんなに大変ではないけれど、別の病院に一週間ほど入院して、またここに戻ってくる。
手術をお願いする事にした。

2007年4月 8日

娘の運転で

月初めなので、ジジのところへ支払いに行った。
まだ春休みの娘も行くというので、運転を頼んだ。
きっちりと目的地までの地図を頭に入れて出発。
日曜日の川越街道は思ったよりも空いていて、走りやすかった。

ジジは車椅子に座っていたが、靴を履いているところを見ると立って移動はできるらしい。
以前、むくんでパンパンになっていた足も、すっきりとしている。
状態は安定しているようだった。

誰が来たのかは、もちろん分からないのだが、笑顔も見えたのでまずは一安心。
「ジジ、また来るね」

2007年3月11日

88歳の誕生日おめでとう。

bir.JPG今日はジジの88歳の誕生日だ。米寿だ・・・

病院から誕生日会のお知らせが来ていた。23日(金)
いけるかなぁ。

2007年2月21日

ノロウィルス

「○○病院です」
電話がかかってくると、いつもドッキリしてしまう。
ジジに何かあったのか??

でも違った。病院内でノロウィルスと思われる患者が発生しました。
病棟は違いますが,安全のために,20まで面会を控えてください。
という連絡があったのが2/12日。

そして、20日、再び連絡があった。
ジジの病棟でもノロウィルスが発生したので、2月いっぱい面会を控えてください。
抵抗力のない高齢者ばかりだからなぁ・・・看護師さんや介護士さんも大変だ。

私は、病院が遠いので1月に1度しかいけないけれど、近くの人は食事の介助に毎日顔を出している人もいるらしい。もう少し近いといいんだけどね。

2007年2月10日

チョコレートムース

今日は都合により、ひとりでジジのところに行かなければならない~と思っていたら、
ババが「私も連れて行ってもらえるかしら~??」というので、二人で出かけた。

先月は靴でなくモコモコ靴下だったので、もう足は元に戻らないのかと思っていたら、今日は、靴を履いて、椅子に座っていた。
8月に入院していらい、ジジが車椅子でないものに座っているのを見たのは初めてだった。
足の腫れが引いて、靴になったから、少し移動させてもらえるようになったのかな?

バレンタインのチョコをお土産に持っていったので、1階のラウンジでお茶を飲むこととにする。
けれど、ジジは見慣れない風景に落ち着きなく辺りを見回している。暖かいココアとチョコレートムースでようやく安心したようだ。

ババは「ねえ、わかる?わからないの?」としつこく質問していたが、半年も会ってないのだし、大体家にいる時から、誰だかわからなかったのだ。家をでてから11ヶ月・・・わかるわけないのに、やっぱり、「ねえ、わかる?」と確かめたくなってしまうのね。

ジジは、わからないなりに、私たちが笑うと、一緒に口をあけて笑ってくれる。楽しい雰囲気は共有できるみたいだ。一ヶ月に一度しかいけないけれど、それでも、やっぱり会いに行けばジジにとってもいいことなのかな?家にいた頃の、困ったような眉間のしわがなくなって、わからないなりに、落ち着いた穏やかな表情を見ていると、ここに来てよかったのだと思う。ジジにとっても、家族にとっても・・・
じじまたね。元気でね。

2007年1月 6日

お昼寝中

3連休の初日。雨の中本年初めてジジのところへ行った。
ジジは赤い服が好きなので、ワイン色のセーターを来て出かけた。
部活を引退した、二女も一緒である。

ジジはどこかな?廊下にいくつかベッドが出ている…
反対側からのぞくと、おじいさんの頭はどれもジジに見える・・眠ってるからかな?
こっち?違った。あっちかな?いたいた・・・
寝てる・・・まさか?寝たきりになっちゃったの??しばらく廊下で立ち尽くす…

よく見ると、ベットを出して、部屋を片付けているらしい。
しばらくすると、部屋に戻って、車椅子に乗って出てきた・・・
なーんだ、お昼寝してただけだったんだ。

今日は3時からピアノのコンサートがあるというので、三々五々みんながホールに集められて出てくる。
ジジも、訳がわからないのできょとんとしながら、こちらの方を見ている気がする・・・ので、そばに行って話しかけてみる。

「ジジ、こんにちは。」
オーバーにニッコリ笑うと、ジジも笑顔になった。よかった~
すると、手を出して、私のあごをなぞり始めた。そのうち、ほお・鼻・めがねと顔中を撫で回し、なんと、その手で私のほおというか、顔をリズムをつけて叩き始めるではないか!
ヒョエ~!どうしたんだ?

だけど、なんていうか、膝を叩いたり、手を叩いたり、そんな感じなのだ…で、ニコニコしてる。

これは、だいぶ、ご機嫌がいいみたいだ。さっきまでお昼寝してたとは思えないぞ!

何か言ってるけれど、よくわからない、それでも、適当に相槌を打てば、おしゃべりしている感じにはなる。歯のない口をあけて、笑ってる顔は明るい。多分、ここで落ち着いて、安心して過ごしているんだろうなと、感じられた。

すると、反対側にいたおばあちゃんが私の服を引っ張ったり、めくってみたりしている。
「こんにちわ」といって、手を出してみると、袖を引っ張って直してくれている。なんだか気になるのかな?家族の誰かと思っているのかもしれないね。

そろそろ時間。「ジジ、また来るね」というと、なんだか困ったような顔。
家にいた時のように「お買い物にいってくるわね」といってみるけど・・・やっぱり、なんだか困った顔。
またくるね・・・元気でね・・・といって、病院をあとにした。

2006年12月20日

ノロウィルス

病院から電話がかかってきた。
「まさか・・・ジジに何か???」とおもったら、違った。

「時節柄、ノロウィルスがはやっているので、生ものの差し入れをご遠慮願います。」

ニュースでも、病院や施設でお年寄りがなくなったりしてるものね。気をつけることに越したことはない。病院にしても学校にしても、人が集まるところは大変だな。

2006年11月12日

白内障の手術・退院

朝10:30.ババのお迎えに。
すっかり荷物も準備して、着替えていたババ。
「お待ちどうさま~。さあ、帰りましょ」

一週間の入院で、ようやく息子である夫が病院に行った。
まあ、面会時間の夜8時までには、私以外の家族は、誰も帰って来れないのだし、
これで、万が一、私が病気になって入院しても、1人でなんでもやるしかないのだと、覚悟をしておかなくちゃね。

さてババ、自分の部屋に戻って、部屋が明るくなっているという。
ハッキリよく見えるうえに、明るく見えるらしい。老眼はかわらないので、手元は見えないらしいが、とりあえず、手術の経過も良いようだし、良かったよっかったです。

2006年11月11日

白内障の手術6

両目の手術も無事終わって、そろそろ退屈し始めただろうババに、ケーキの差し入れ。
エレベーターホールの前にあるラウンジは、コーヒーなどの自販機もあり、景色もいいし、携帯電話も使える。持込のお弁当を食べてる人もいるし、ケーキもOKでしょ。
そうそう、天気のいい日は白い雪をかぶった「富士山」がきれいに見えるらしい。

先に手術をした、右目の充血はすっかり取れたが、まだ糸の結び目がゴロゴロしているらしい。きけば、右と左と、手術した先生が違うらしい。ちょっとビックリ~。

明日は退院。

2006年11月10日

白内障の手術5

今日は、朝から、絆創膏をはずして、両目がつかえる。予定だった日。

しかし、家のハウスクリーニングが夜8時になっても終わらず、
なんと、面会にいけなかったのだ。ゴメンね、ババ~

今月は、ババの入院もあって、ジジのところに行けなかったし・・・
体はひとつしかないもんなぁ。

2006年11月 9日

白内障の手術4

今日は左目の手術。ただし、10番目なので、午後か夕方の予定だった。

午後4時半。仕事が終わったときに、「まだ順番が来ないの~」とババから電話。
家に帰って、洗濯物を持って、病院に行ったのが18:30。
手術が始まったのは夜7時からで、手術が終わるのを待って、ババが夕食を食べるまで待っていたら、面会時間の20時をすっかりオーバーしてしまった。
しかし、夜7時まで手術を待っているババも疲れだだろうけど、そんなに遅くまで手術をしている先生も、たいへんだなぁ。

帰ってから、夕食の支度をして…帰りの遅い家族もさすがに帰ってきて・・・
あー!いそがし。

2006年11月 8日

白内障の手術3

今日は、実家の母がババのお見舞いに来たので、駅で待ち合わせて、一緒に行きました。
朝の外来診察で、手術の後をチェックしたようで、今日は、もう絆創膏が外れていた。
白内障の手術は「日帰り」でもできるというようだが、すごいなぁ。

白目の部分がまだ赤かったけれども、信じられないほど、外の景色がはっきりとよく見えるらしい。
そのうえ、今までよりも、世界が明るく見えるようだ。まぶしいくらいに…

2006年11月 7日

白内障の手術2

本日右目の手術・4人目。お昼頃だったようだ。

夕方病室を訪れると、右目にぺったりと絆創膏を貼っている。
残った左目にめがねを掛けて、テレビを見ているが、けっこう疲れそうだ。

手術は、部分麻酔なので、手術されている意識ははっきりしているらしい。

それよりも、隣のベットの人が夜中に、アイスノンの中身を食べちゃったと、朝から大騒ぎだったらしい。
入院して、一気に認知症が進んだのか?
「隣の人、すごいおばあさんだとおもったら、昭和12年生まれだって・・・」
それって、ババより、10年も若いじゃないの~

でも、みた感じでは、確かに、ババよりもおばあさんっぽいかも。

この病院、まだで来てから日が浅いので、とてもきれいだ、
更に、食事は2パターンの中から、毎日・毎食・選択できるのだ。すごいサービス!

2006年11月 6日

白内障の手術1

かねてより、予定していたババの白内障の手術をすることになった。
自分で病院に行き検査をし、入院の予定も決めて来たババは、さっさと自分で準備をして、病院に出かけた。

仕事が終わってから、残りの荷物を持って入院先の病院へ。
明日の手術に向けて、色々とやることがあるらしい。

病室は6階。眺めはいい。夜は電車やマンションの夜景がきれいだった。

2006年8月19日

新たな住み家へ

いよいよ、転院の日。
昼前に、向こうに着くために、10:30分に老健を出発することにする。

老健の整理ダンスに入っていた衣類・洗濯物・くつ・ひげそりなど
持ち帰る荷物はかなりの量だ。
手続きを終え、いよいよ出発。
心配していたのだが、なんとか車には乗り込めた。
病院までの約一時間。穏やかな気持ちでいてもらえるだろうか?
途中で飽きたり、嫌になってきて、「おしっこ」なんていわないといいなぁ。

 
幹線道路は交通量も多いし、大型車も多い。
けれど、ちょっと一本道を変えると、大きなケヤキ並木と屋敷森が続く道を発見。
ちょっと、きぶんは軽井沢へ避暑!
ジジも、落ち着いて後部座席に座っている。ドライブが好きでよかったなぁ。

予定通り、昼前に到着。受付を済ませて、とりあえず、お昼ご飯にする。
新しい場所で、どうなるかと思ったが、しっかりと完食!
この調子なら、慣れるのも早いかも。

その後、医師の問診。しかし、入院の書類に署名ができない。
1年前はかけていた名前を、もうすっかり忘れてしまったようだ。

室内着に着替え、とりあえず入院手続き終了。
衣類は全てレンタル。私有物は「ひげそり」と「室内履き」の二つだけ。
もう、洗濯物をとりに行く必要もない。

2006年8月17日

連絡アリ

老健から連絡があって、予約していた病院のベッドが空いて、順番が来たという。

けっこう早かったなぁ・・・
できれば今週中。日曜日はダメ・・・といわれたら、土曜日に行くしかないじゃないか~
保証金に検査料を用意して・・・後は、室内履きとひげそりのみ。
ジジ、1時間以上おとなしく車に乗っていられるかな?
それより、車に乗り込めるかしら・・・?現実的な心配が頭をよぎる。

2006年8月 5日

療養型病院

予約してある病院が遠いし、金額もけっこうするので、もっと近くの病院はないのだろうか?
ということで、夫の知り合いの紹介で、となりの区の療養型病院を見学した。
ベットはあいているので、すぐは入れるかもしれないという、話だったのだが・・・

色々とジジの状況を話してみると、なんと
「ココは、歩ける人は受け入れられません」
基本的に
「寝たきりで、あたまはスッキリしている人」が対象なんです。

あれ~。そうなのか。確かにこの病院、いろんなものがおいてあって、ジジが徘徊するには不適当。
残念。近くていいのになぁ。

やはり一般の病院はきびしい。老人精神科もいくつか紹介してもらって、問い合わせをしてみたけれど、
3ヶ月しかいられなかったり、療養型ではなく急性期の病院であったり・・・
系列の特養にいる人が入院する病院だったり・・・ジジがはいれるところって、限定されるんだな。

色々調べて、特養の話も分かったし、結局、行くところがあるというだけでも感謝しなくてはいけないのかもしれない。夫も、納得できただろう。

2006年7月20日

壊れた入れ歯

先週壊れてしまった入れ歯。
今は、下の入れ歯だけ入れて食べているらしい。上の前歯だけがないのだ。
作り直すか修理するようにお願いしてみたが、口をあけてきちんと治療させてくれるとは思えないということで、困難を極めている。
それに、作ってみても、装着を拒否する可能性も大きい・・・・
今のままでも、普通食を食べているのなら、無理して作らなくてもいいのではないか?というのが、老健側の判断のようだった。

療養型病院でも、歯科医はいるということだし、しばらくはそのままでいいか~

療養型病院の方は申し込みの書類と手続きをお願いすることにした。
それと平行して、特養の申し込みをしておこうと思う。東京でも遠くの山間部だと早く入れるそうだが、なるべくだったら近くの方がいい。とりあえず、近くで見学の予約をした。

2006年5月17日

医師との面談

午前中「老健」から電話。
昨夜23時頃、トイレの前で横になっているのを職員が発見しました。
どうやら、トイレに起きて、放尿をした痕跡があり、そこで滑ったのではないか?
その時点では、膝が赤かったが、他に外傷は見られなかった。
今朝は、特に変わりがありません。という報告だった。

ウーム、午後から医師の面談だけど、やっぱり頭が心配だから、脳の検査をしてくださいと言われるのだろうか?と不安になる。

指定された2:30に行くと、いつものダイニングは空っぽで、ほぼ全員がホールに集まり、何かイベントの最中だった。
どうやら、二つのグループが輪になって座り、紅白に分かれて「玉入れ」をしているところだった。
うまくカゴに投げ入れる人。玉を握って離さない人。まあ色々だけど、最後はみんなで玉を数えたりして、なんとなく楽しそうだった。
「ミニ運動会?」と思ったが、そういうわけでもなさそうだ。

さて、医師との面談。
肺のレントゲンを見て、3箇所くらいに疑いのある箇所が見られる。
5年経過すると、転移などが起きてくる可能性がある。
ただし、自覚症状や痛みなどの訴えもないのでこのまま経過を見て、変化があった時点で、検査し対処する。検査も、なかなか無理なので出来る範囲でするしかない。
痛みなどが出てきたときに、痛みを抑えるような方法を考えて行くようになるでしょう。

どうやら相談員が伝えてくれたように、今すぐ検査して、脳への転移を疑うのではなく、いつでも可能性があるので、経過を見ながら対処する。施設に入所している間は、医師が定期的に見て行くので、変化が見られた場合にはまた考えて行く。ただ、じじのようにあまり訴えが出来ない人は変化に気づきにくいのがちょっと心配な点らしい。
高齢なので、突然何かが起こる事も心に留めて置いてください。と言うような話だった。

という訳で、一応一安心かな? ジジにとって検査入院なんて地獄だからねぇ。

今日のおやつは、最中とお茶でした。

2006年5月12日

認知症が進んでいる

バイトのお昼休みに、自転車をとばして、きのうの大量の洗濯物を届けにいった。
行方不明のズボンは、誰かの引き出しから戻ってきていた。パンツも2枚でてきたし。
よかった~

受付で相談員に呼ばれた。回診の医師から
「最近認知症が進んでいるが、もしかしたら、肺がんが脳に転移した疑いも考えられる。一度、医療機関で精密検査をしてもらったらどうでしょう」と言われたそうだ。

しかし~。脳の検査なんて、ジジにできるのかな?脳波も取れない。CTがやっとで、MRIやMRAなんて無理でしょ?
それに、脳に転移していたとしても、手術なんて無理。大体5年前の手術も諦めたんだもの。
どっちにしても、状況は変わらないと思うので、大嫌いな検査をしなくてもいいと思うのだけど…といったら。「施設としては疑いのある人を放置すると責任を問われてしまいます」ということらしい。

月曜か水曜日の午後の回診に合わせて近々先生にお話をきかなくちゃ。
ババ「私がいったって、分からないし~。デイサービスの日だし。息子に任せるわ」
息子(夫)「その日、会議がある。話きいて、検査ができるというなら、検査するしかないんじゃない?」

ふー。結局嫁の私が「キーパーソン」な訳ね。

2006年5月 9日

発熱?

バイト先で昼休みに電話がかかってきた。
ジジに、また何か・・・!?と思ったのだが~

「昨日、熱があってレントゲンと血液検査をしました。レントゲンは問題なかったのですが、血液に炎症反応が見られました。今日は熱が下がっています。本来なら、外の病院で診察を受けてもらう状況ですが、前回と同じ状況が予想されるので(救急車で運んでもすぐに帰ってくる)投薬で様子を見ています」

はい!分かりました。よろしくお願いします。
どうして熱がでたんだろう?肺炎?そういえば、便秘はどうなった?

2006年4月30日

便秘

洗濯物を取りにいった。そろそろ衣替えの季節だけど、雨の日はまだ肌寒いだろうし・・・
冬物も置いておこう。

ステーションに行ったら、便秘気味だといわれた。
うーん。困った。浣腸してもらってもなかなか便が出ない上に、浣腸することを嫌がってかなり抵抗するらしい。そりゃそうだよね。介護してくれる人たちに申し訳ないな。

2006年4月 6日

検査結果

・心電図に異常はなし。
・血液検査にも異常なし
・肺にガンではなく肺炎の様子が見られる。

「本来なら、入院して点滴をして治療をするべきものだが、この検査の状況から判断すると、点滴のあいだ中家族が付き添って見てもらわなくてはなりません。本人の状態からして、入院しても治療が困難なので、施設に戻って服薬で様子を見たらいかがでしょうか。」

ほらね。やっぱり…予想どおり。

実際、入院したら、ベットの立ち上がり、トイレ。点滴の針をむしり取る。絶対に、そばを離れることは出来ない。
(一応、泊り込みの覚悟では来たけれど…)

「吐血するとかもっと緊急の状態にならない限り、入院は無理でしょうね」
ハイ、そう思います。

ということでレントゲン写真と先生のお手紙をもらって施設へ帰る。

ジジは二人の看護師さんと、タクシーで先に帰った、そばについてきたババを振り返る事もなく。
「全然わかんないのね…」ちょっと寂しげなババでした。
でも、「うちに帰りたい」とそこでいわれたって困るのだし…


さて、ババを家に連れて帰ってから、再度施設へ。

施設の医師から病院と同じように説明を受ける。現在、熱もないし咳もないので、このまま様子を見ましょう。何か変化がおきればまた連絡します。
しかし、この肺炎と昼の胸の痛みとは直接関係がないらしい。じゃぁあれはなんだったんだろう?
入所して4週間ほど、ようやく慣れてくる頃だが、それまでにやはりストレスがあって胃に来てるのかな?今回は胸ばかり調べたので、胃は見てないのだ。
それに・・・「胃カメラ」だって「バリウム」だって、絶対に無理だよね~

付き添ってくださった看護師さんによると、施設に戻ると、定位置のベンチに座り、まわりのおばあさんたちの話に加わり、おしゃべりをして笑っていました。帰ってきて安心された様子でした。今はもうすっかりいつもと同じようにしています。

ということで、ジジはすっかり、施設に慣れたようだ。よかった。笑顔が見れて一安心。

洗濯物をもらって、相談員とケアプランの見直しをして、終了。
けっきょく、少し落ち着いたら、睡眠剤を1/2ずつ、様子を見ながら服用することになった。

胸が痛い?救急

昼休みが終わる13時に携帯に電話があった。
ジジが昼食後、みぞおちや胸の辺りが痛いと訴え、すぐに施設の医師に見せ対応をしたがすぐに痛みが治まらなかった。胸が痛いと言うので心電図を撮ろうとしたが、冷たいのを嫌がって、強く拒否するために心電図が取れない。前回の意識消失の事もあるので、一度精密検査をしてもらった方がいいのではないか?
と言うことで、これから提携病院に搬送したいと思います。ご家族の方に来てもらいたい。入院することになると思いますので、その用意と、個室になるので差額ベット代が15000円かかりますのでご了承下さい。

ヒョエ!仕方がないよね。職場に断って早退する。

保険証がいるので、一度家に戻り、ババを乗せて病院へ。

ストレッチャに乗ったジジは、胸のレントゲン・CTはなんとか撮ったものの、心電図で抵抗している。仕方がないので、ジジの頭の横で耳のそばで優しく、なるべく安心するように声をかける。
「ちょっと冷たいよ」「痛くないから」「私もやったことがあるよ」「大丈夫、ココにいるからね」「冷たくて嫌だよね…」なだめすかしながら、手を握る。もちろん病院の看護師2名施設の付き添い看護師2名5人がかりである。何とか心電図をとり終える。

次に採血。寝たままなので、様子が分からず不安になり起き上がろうとする。
こんどは何が何でも押さえつけても採血します。と言うので、看護師さんにお任せする。
ヤレヤレ、毎回検査には往生します。

2006年3月27日

トイレの回数が多い?

介護指導員から電話があった。
「夜間のトイレが4回で、少し回数が多いけれども、何か泌尿器系の病気をしたことがありますか?」医師からの連絡らしい。
病院が違ったので診療情報にはかかれていなかったが、去年春に「ぼうこう炎」で発熱し、秋に「前立腺炎」になりかけていると言うことを伝える。もうしばらく様子を見て、気になるようなら、紹介状を書くので泌尿器科を受診してくださいといわれた。

病気になると、家族が病院に連れて行かないといけないのだ。4月からはわたしの仕事も始まるので、ジジの事も念頭に入れて、スケジュールを組まないといけない。
とりあえず、しばらく様子を見ることとなった。

2006年3月20日

救急車搬送

家で「私の頭の中の消しゴム」を見ていた。
若年性アルツハイマー病になったヒロインが徐々に記憶を失っていう映画です。
いよいよ、クライマックス・・・というところで…
介護施設から電話があった。夕方17時過ぎ!

「意識が朦朧として混濁した状態で、倒れ、しりもちをつきました。
電話をくれた介護士もその場にいて、すぐに施設のお医者様に見てもらいましたが、転んだ外傷などはないけれども、その前に意識をなくしていた状態があったので、救急で診察してもらおうと思います。
搬送先の病院が決まりましたら又連絡します。」

搬送先の病院が決まり、私も急遽病院へ向かう。
話の様子からすれば、おそらく入院はないだろうと判断し、帰りに着るコート類と靴を持っていく。(何回かの救急車騒動で、何が必要なのかがだんだんわかってきた)

病院へ行くと、レントゲンと脳のCTを撮影しているところだった。少々不安げな様子だったが、当直の先生にしっかりと手をつながれて、無事撮影終了。
脳に特別の変化は見られず、骨折の心配もないということで、早々に帰れることになった。コートを着せ、車で老健に戻る。

老健に戻ることに抵抗を示すかと思ったが、何の心配もなく椅子に座りお茶を飲んでいる。本日はステーション預かりで睡眠薬を半分だけ飲んでゆっくり眠ることになった。

大きな変化がなくて、一安心。家に戻り19:30。急いで夕食の支度をする。

夜「私の頭の中の消しゴム」の続きを見る。ヤレヤレ…

2006年3月 9日

精神科受診

精神科の予約日。
朝早いし、ジジだけを連れて行くつもりでいたら、ババも付いてきた。
1年ぶりの診察なので、簡単なテストを行う。が、○・△・□の区別は付くが、黄色と緑の区別が付かない。
名前や誕生日。ここまででどうやってきたか?一緒にいる人は誰か?など高度な質問は質問さえ理解できない。「は~。そうですか~」などとニコニコしている。

認知症の度合いから言えば、「要介護4」ただし、自立歩行・トイレ・食事も何とか自分でできるので、やはり「要介護3」が妥当な線か?
「アリセプト」については認知症の初期に有効な薬なので、もう中期を過ぎたジジには効果が望めないということで、中止にすることにした。「老健」に結果を知らせる。

帰りに、スーパーで買い物をする。いつもジジと二人のときは、カートを押しながら私の後ろをピッタリと付いてくるのだが、ババがいると、目標とする人が二人で見失ってしまうのか? 全く違う人の後ろにくっついていってしまう。そして迷う…まいったな。ババはジジを叱るし・・・「なんで勝手に歩いて行っちゃうのよ!」起こっても全然理解できないのにねぇ。あげくの果てにババの荷物は持たされる。ウーム。

山のような荷物を抱え、ジジの手をとり、エスカレーターに乗る。もう、二人連れてお買い物は無理だ~。

2006年3月 2日

耳あか

今日は「魔の木曜日」だ。ジジは朝から、家の中を歩き回っている。
「何にもないと思うけどな~。確認しておくか~」とあちこち開けて触る。

という訳で、かねてから計画通りに耳鼻科に連れて行くことにする。
ヒゲそって…トイレ行って…コート着て…靴はいて…
「これ、はくの??出て行っちゃいますよ???ひとまわり???」
散歩に行きたい犬のようだ。(犬って飼ったことがないけど、多分)

耳鼻科はあいにく家の近くにない。子供たちが通っていたところはとても混んでいるし、内科と一緒なので風邪をうつされても心配…。恐い先生はいやだし~。遠いと歩けないから、駐車場がないと困るし…
と、いろいろ捜して見つけた。近くにスーパーの駐車場がある。そんなに混んでもいない様子。

初めての耳鼻科。耳が遠いこと、認知症であること、他に内科疾患がないことなど説明。
「認知症になって、しばらく、耳掃除をしていないので耳あかがたまっていないか見てください。」
先生:「耳あかがなければ何もしなくていいのね? 認知症ね、動かないかなぁ? 危ないから手を押さえていて」

看護婦さんが、頭を強く抑える。ジジ、恐怖の症状だが、一生懸命我慢している。「痛いよ!」 
左右の耳あかをあっという間にとって、終了。だけど、ジジは目をギュッと閉じたまま椅子の上で硬直している。 もともと耳を障られるのが嫌いな人らしく、恐かったんだね。
ゆっくりゆっくり椅子から降り、待合室の椅子に座ったら、
「あ~。暖かくて気持ちがいいな~」エアコンの真下で、すっかり耳のことは忘れたのでした。

看護婦さんや受付の人の「大変ね~」という、眼差しが印象的だった。

さて、スーパーで買い物をして、近くの川べりの遊歩道をひとまわり散策し、車に乗せて帰ってきました。そろそろお昼。ちょうど、2時間のヘルパーさんでした。時給にしたらいくらもらえるかな~?

2006年3月 1日

内科・歯科

内科の主治医に診療情報を書いてもらったので取りに行く。
レントゲンの結果も血液検査も、特に問題はないということで、一安心。
脳梗塞の兆候も見られないので、一日3回飲んでいた「エパデール」という薬を飲まないことにする。
この「エパデール」シリカゲルのような透明な粒状。毎食後繰り返されるお薬バトルの元凶だったのだ。これがなくなることで、投薬は朝だけになり、ジジババ双方がだいぶ楽になると思われる。ヤレヤレ…

出来た書類を「老健」にfaxし、面接の予約を取る。3月3日。午前。

夕方、デイサービスから帰るのを待って、車に乗せて歯科へ。
先日折れた歯を見てもらう。
普通なら神経が痛むはずだが、加齢によって、痛みが感じなくなってきている。
①このまま角を削って、表面をコーティングしておくか?
②または、神経を抜いて差し歯をいれるか?
二者択一。
治療が理解できないジジでは、②は困難を極める。年齢も年齢だし・・・①を選択する。

治療は、「いたいよ!」とちょっと訴えたけれども、けっこう我慢していた様子。
手を握っていただけで、よくがんばりました。

このところ、なるべく私がいるときはババより先回りしてジジの身の回りを介護・見守りするようにしている。そのせいか、ジジの症状がだいぶ落ち着いているような気がする。
ババの怒鳴り声も、気のせいか少なくなってきてるかもしれない・・・

だけど、四六時中ジジの側にいるわけにも行かないし…
出来る範囲でやるしかないかぁ。

2006年2月23日

「老健」見学

魔の木曜日。ジジとババを離すために、午前中皮膚科と内科へ。駐車場がないので、歩いてゆく。途中で歩けないと騒いだらどうしよう?
3日前から陰部の辺りをボリボリ掻くので、もしも、変な皮膚病だったらどうしよう?と心配になり受診。しかし、ただの乾燥肌と分かり一安心。家に帰ってよく見たら、腰や背中も手の届くあたりは引っかきキズだらけ。おまけに、爪も伸びてた!!

その後、医療情報をもらうために内科を受診。老人検査の数値だけでは項目が足りないので、再度血液検査・レントゲン・喉の粘膜の検査を追加。耳は遠くても、ジェスチャーだけで80%は理解してもらえる。大声の必要はない。

心配するほどの事もなく、無事家まで歩き通す。ただ、自分の家は分からなかった。

午後、「老健」の施設見学。
比較的新しくきれいな施設。エレベーターのスイッチは指紋認証。窓も大きく開かないようにロックされている。
認知症患者で自立歩行できる人は、暴力的であるかどうかが問題らしい。ジジの場合、ババに暴言虐待を受けた場合と、注射などで暴れることがある。けれどそれ以外なら、きわめておとなしい。後は、時間が混乱して夜中に起きてしまう事も問題行動のひとつらしい。
介護は問題なくても、他の利用者に被害が及ぶことが入所のポイントになるという。
とりあえず、日常生活の情報をデイサービスの人にも書いてもらい、書類提出の後、本人の面接→判定会議→お試しショートステイ→再判定→入所待機。という運びになるということでした。

多床室の利用はけっこう難しいかもしれない。しかし・・・個室は差額ベッドのような料金加算があるらしい。参ったな。仮に入所待機となっても、だいぶ順番待ちがあるようだ。しかし、女性よりも男性の方が待つ時間が短いらしい。
問題山積・・・

2006年2月20日

老年精神科・2

精神科といっても、いろんな分野がある。認知症だったりアルコール依存症だったり、病院によっても得意分野があるみたいだ。

さて、ジジの状態とババの状態をファックスで送ったクリニックで、今回は私だけの相談。
実は、ババがいると、自分の訴えが強くて、こちらの疑問や相談はなかなかできない。無論ババの状況についてもなかなか話しづらい面がある。

その結果、母のストレスを解消するためにはジジを介護老人保健施設へ入所させ、二人の距離を置くことが望ましいというアドバイスをもらった。
家庭介護のいいところは、暖かく見守られて、安心して毎日を送れることが前提だ。今の状態ではいつも怒鳴られ、叩かれそうになり、自分の居場所がなく、邪魔にされている。これではジジにとっても幸せとはいえない。

障害者を家で介護するということはとても大変なことで、そのために家族に犠牲者が出るとしたら、その時点でもう家庭介護の限界が来ていると言う事だそうだ。なので、家族と相談して、ショートステイではなく、3ヶ月くらいの「介護老人保健施設(老健)」への入所をすすめます。

帰宅して、すぐにケアマネさんに連絡を取り、精神科でのアドバイスを伝えたところ
「私も、それを勧めます。ただ、お母様にまだ抵抗があるようなので、ショートを一度体験してから、その次の段階で老健をすすめようと思っていました。」ということで、比較的家の近くの施設を進めてくれた。
ただし、老健は3ヶ月しかいられないので、3ヵ月後をどうするか?が問題になってくる。

夕方、デイサービスより帰宅したババに話をすると、「もう限界だから、老健に入れたい」と了承した。
夫も「自分が現場で介護できないから、いいだろう」と了承。
次の手続きを進めることになる。

この日、ジジは比較的穏やか。

2006年2月17日

老年精神科

ケアマネさんから、認定見直しのために診断を受けるように言われたので、予約の電話を入れる。
今回、ジジの認知症もそうだが、それに伴うババの精神的なストレス不安についても相談したいと考え、ババの予約も取ることにする。
それに先立って、まずは私がひとりで相談に行くことにした。

20日月曜日に予約が取れた。それまでに、ここ1年のジジの経過をまとめ、またババの様子など、心配な点をまとめて、事前にfaxで送ることになった。
相談の時間は20分ほどなので、時間を有効に使うためらしい。さて、まとめなくては…

2006年2月 8日

痛いのはどこ?

昨日、あんなに大騒ぎしていたのに、今日はデイサービスでも騒がなかったらしい。
家でも、別にどこも痛くないらしいし・・・
治ったのはいいけど、どうも昨日のが疑わしいなぁ。

昨日のデイでは、おすもうさんのように体が大きい職員が抑えなければならないくらい、大暴れして大変だったらしいのだ・・・

2006年2月 7日

痛いイタイ痛い

午後、デイサービスから電話があり、「腰が痛いと言われるので、病院に行った方がいいと思うのですけど・・・」
あれ??昨日まで腰が痛いなんて一言も聞いてなかったのに・・・
ともかく家に送ってもらい、そのまま車に乗せて病院へ。

転んで手を治療してもらっている病院。しかし今日は整形外科がない日で外科でレントゲンを取ってもらう。老化に伴う背骨の状態ではあるが、骨折などは見当たらない。シップをして、よくならないようなら再度整形外科を受診するようにといわれ、かえって来た。

病院で待つ間、「どこが痛いの?」ときいても、「ココに泊まるのか?」
「お昼ごはん何食べたの?」と聞けば、「ごはんなんて食べてないよ」
全く意味のない会話。

夜、ババが手の治療とシップをしようとそばに行ったら、
「ジジが大騒ぎして手を出さないのよ!!」「あなた、ちょっと見てやって!」
うーむ。難題…ババが暴力的だから警戒してるんだ~

「イタタタタ…」といいながら布団に座ろうとするジジ。
それじゃ、先にシップを貼っちゃおう。パジャマをめくって「ピタ!」と貼ったとたんに
「痛いな!」と背中に手を回して、シップをむしり取ってしまった。
痛いんじゃなくて、多分冷たかったのね。

band.jpgとりあえず、腰は先送りで、転んだ手の治療をする。
ババが貼ったバンドエイド キズパワーパッド をはがしてみたら、バンドエイドの下にたたんだガーゼが貼り付けてある・・・???
このバンドエイド、全体が薬の効果があり通気性もよく傷に付かない。ただ貼るだけで5日間貼りかえなし!という優れもの。ガーゼをはさんだら意味がなーい!おまけに、「このバンドエイド高いのよ!!」当然だよね。
それなのに使い方は、ただのテープの代わりじゃないか…自分で買ってきたのにねぇ。

トイレから出てきたジジは、またダイニングに現れた・・・。よし!忘れたらしいからシップにチャレンジ。
むしり取ったシップを伸ばして…手につけてみる。「冷たい!」「冷たいけど、腰に貼るよ」息子が正面からジジの手を捕まえる(むしり取らないように)。
「冷たいけど我慢してね」急いで貼りつけ、パジャマとシャツの裾をズボンに押し込む。ものすごい力で抵抗したけれど、貼ってしまえば、冷たいのはすぐに慣れる。ヤレヤレ、一件落着。

しかし、なんで急に腰が痛くなったのかなぁ?

2006年1月20日

病院送迎

昨日の今日なので、今日のデイサービスはキャンセル。そして、病院まで送っていく。
処置が終わって、帰ってきて、ふとジジの手を見ると・・・

!!!また包帯が手首に移動してる! そして傷のパットがむき出しに・・・
包帯の巻き方が、ジジ向きじゃないなぁ。
ジジは袖が長いのが嫌いで、シャツでもセーターでもすぐに袖口を折ってしまいます、多分、包帯も手の平にかかるので、気になってめくりあげてしまったのでしょう。

包帯を巻きなおし、ネットで取れないようにガード。
全く、油断も空きもないのです。

今回怪我したのは右手。食事を心配したが、痛そうな顔も見せずに食べているところを見ると、大丈夫なのかな?そのくせ、都合が悪くなると「いててて・・・」などといったりするのよね。もちろん食欲も衰える気配は見られません。

2006年1月19日

ジジ転倒!

外出先でババからの不在着信4件
何か起きた!?と急いで連絡を取ると…

強風に背中を押され、家のすぐ近くでジジが転倒。一緒にいたババがどうにか家につれて帰ったが、手が血だらけで顔面蒼白。驚いたババが救急車を呼んだらしい。
脳のCT・手のレントゲンなど今のところ異常はなく、傷の手当てをしてもらって帰宅したところだった。

病院でのジジは、自分のおかれている状況が理解できないので「痛いよ!何すんだ!死んじゃうよ!」と大騒ぎ。帰りのタクシーも捕まらず、結局歩いて連れ戻ったらしい。
しかも、入院の準備用品を持ち、その上ジジのコートはなく…
ババひとりですべてのことをやったのだから、大変だったろう。よくがんばった。

ジジは思いの外元気で、いつものごとく「ご飯はまだかな?」とウロウロしていた。なぜ怪我をしたのか?いや、怪我をしていることすら理解できていないので、手についているものが気になって仕方がない。気づいたら、包帯がはずれ、傷口に当てたパットを手で押している!着ているパジャマも手も血が付いている!!

全く目が離せない。大急ぎで包帯を新しいものに替え、今度はジジがはずせないようにネットもかぶせておく。傷は手のひらの皮が2箇所むけていた。かなり痛そうなのに、なんで押しちゃうんだろう?治るまで、しばらく時間がかかりそうだ。

2006年1月 4日

デイサービス・スタート

新年のデイサービスが今日からスタートです。
今週は「○○交響楽団」の演奏会があります。すごいですね~

今年のお正月、何とかお餅を喉に詰まらせる事もなく、無事乗り切ったジジ。
ですが、お正月という認識はもちろんなく、相変わらず、10分前に食事が終わったのに、「ご飯かな?」と覗きに来ます。
で、何か怒られたような気がすると、「じゃあ、寝ます・・・・」
イヤになってくると、「トイレ・・・」 小さなこどもと同じだわ。

さて、しばらく前から気になっていることが一つ。
時々、食事中に「虫が飛んでるよ」といって、お皿の上の虫を箸で追うような光景が見られます。
もちろん、虫などいないのですが、ジジの目には何かが飛んでいるように見えるのですね。
特に、白い皿のときに、顕著です。

 「飛蚊症」ではないかと、家人は言いますが、どうしたもんだろう?
眼科に行けば、診断してもらえるのかな?このままほうっておいてもいいかな?
まさか、「妄想」じゃないよね?それなら、精神科だし・・・

と思いつつ、最近は白いお皿をやめて、黒いお皿に入れることにしました。
これなら、気にならないみたいだし・・・???

2005年12月 8日

インフルエンザ予防接種

e1.jpg今日は、魔の木曜日。
ジジはインフルエンザの予防接種に行った。よーく言い聞かせたらおとなしく注射を受けてきたらしい。よかったよかった。

昨日、ババがデイサービスで書いた絵を持ち帰った。「絵画セラピー」というプログラムがあるそうだ、ところがババは子供の頃からお絵かきが嫌いで、このセラピーもババにとってはストレスだったらしい。
けれども、回を追うごとに、絵にいい味が出てきている。
並べて壁掛けにすれば、それなりの作品の出来上がり。
恥ずかしがっていたババも、ちょっと自信が付いたみたいだ。


ジジは相変わらずだ。耳が遠いせいもあるけれど、会話が成り立たない。
まるで、フランス人とメキシコ人が一緒に生活しているようなものだ。
言葉も、生活習慣も全く違う・・・海外からのホームステイが家にいるとおもえば、少しは気が楽になる。
・・・と油断したとたんに、やられた!
トイレの前が・・・(;>ω<)/

2005年12月 5日

変わらぬ日常

朝、着替えて部屋を出てきたジジと遭遇。
ババにいわれたとおりの服を着て、その上に、きっちりと
パジャマの上着を着込んでいる。

あー!そのまま、ダイニングに行ったら、また怒られちゃう!
急いで、パジャマを脱がし、いつものごとくズボンの中に押し
込んだセーターの裾を引っ張り出す。これで大丈夫!!

と思ったら甘かった。

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2005年10月30日

救急車・その後

ようやく前立腺炎の薬が効いたのか?トイレの回数も落ち着き。
眠れるようになったジジ。
頭がフワっとすることと、おしっこが出なくて、トイレを繰り返すことと
どちらを優先するか?という選択において、ババがトイレを選択したのだ。

まあ、落ち着いてよかった。

さて、救急車騒動で気づいたこと。
「救急車のあとを、車で追う事は不可能。」
救急車は一方通行の道でも、どんどん逆走する。
信号も無視する。くっついて走ったら。警察に捕まってしまう。
もちろん、すぐ気が付いたので、自力で病院を捜して交通ルールを守って走行しました。

病院でのジジ。
「どうしよう。こんなところに来ちゃって・・・○○に連絡しなくちゃ。みんな心配してるよな・・・」
と、ここで言う○○は自分の生家である。もうここしばらく、連絡もしていないし、親も兄弟もなくなっている。
しきりに、○○区○○…と住所を言っている。
もう、迷子になっても、現在の自分の住所を言うことは出来ないのだろう。

本当に心配している人は、目の前にいるのだが、ジジにとっては、息子を認識することは出来ないのだ。わかってはいることだけど、辛いだろうな。


今回の原因とも言えるトイレ騒動で、ジジはトイレと自分の部屋に戻ることが混乱してきた。
場所がわからなくなって、目的もわからなくなるのだ。浴室をのぞき込んで立ち尽くしていたりする。
なので、洗面所のドアにカギをかけ、ジジの部屋に表札をつけた。
それからトイレには「便所」と書いた紙を貼り付けた。
まだ、自分の名前と、少しの文字は読めるはずだから…

ウーム。着実に進んできてるみたいだなぁ。

2005年10月29日

救急車

金曜から土曜になろうとする深夜。階下でドスンという物音。
あ~今度は何を落としたんだろう??と眠い頭で考えていたら

「どうしよう!ジジが倒れてるよ!」と娘の声。
あわてて階段を見下ろすと、一番下の段に頭を乗せて、上向きで倒れているジジ。
目を閉じて、動かない・・・救急車!!!
初めての119番通報。妙に落ち着いている自分が不思議。

ジジ頭を打っているかもしれないから動かさない方が良いだろう
とにかく、服を着替えなくちゃ・・・・と思っているうちに
ジジが目を開けて、起き上がろうとしている。
「そのまま寝ていて、動かない方がいいよ」といっても、
起き上がろうともがいている。そして、おしっこ・・・

実はこの日、トイレばっかりいっていたので病院へ行ったところ、
「前立腺が少し腫れている」ので、炎症を抑える薬と尿が出やすい薬をもらってきていた。
その上、便秘気味なのか、何度も何度もトイレから出てはまたトイレに行くことを繰り返していたのだった。
そして、トイレから出てきたところか?入る前か?に、倒れたのだった。

しかし・・・
救急車が来る前に、意識を取り戻し、なんと、またトイレに座ったのだ。
(どうしよう・・・でも、頭を打ってるかもしれないし・・・)

結局、救急車と消防車がきて、酸素吸入・・・・
もちろんジジは何が起きているかわからず、されるがままに・・・救急車に。
ところが、搬送される病院が決まらない。脳外科の担当医がいる病院がなかなか見つからない。おまけに、認知症患者だ!
5~6件目にやっと搬送先が決まる。(けっこう待っている時間が長かったような気がする。本当に命に関わる事態だったら、間に合わないんじゃないかな?)
救急車には夫が乗り、私は車であとを追うことにした。

さて、病院に着いたジジ。点滴をしながら、不安そうな様子。
CTを撮ることになって、不安が増し、とうとう騒ぎ出した。
「帰る!帰してくれ!死んじゃうよ!」「ケツがくそまみれだ!!」
おまけに、腕に力をいれブルブルさせ。足は毛布を蹴飛ばしバタバタする。

入院して様子を見ることを勧められたが、考えた末、連れて帰ることにした。
入院させたって、大騒ぎすることは目に見えてる・・・
だいたい。本当に死にそうな人は、こんなに大暴れなんてできるはずないしね。
もちろん、お医者様には「何があっても、保障できませんよ」としっかり釘を刺されたことは言うまでもない。

「さー。ジジ。もう家に帰るよ。起きていいよ~歩けるでしょ?」
「トイレ行きたいっていってたでしょ?いってこよう!」
ところが・・・トイレは行かなくていい・・・と・・・
(ほらね。やっぱり。嫌なことがあると、すぐうんちだおしっこだっていう!)

というわけで、病院のスリッパを借りて、帰ってきたのでした。

(反省)救急車を呼ぶときは、しばらく様子を見てから・・・
病院に行っても、意識がある限り、入院は無理だろう・・・
大怪我で大出血するとか。そういうのでもない限り、救急車も呼べないなぁ。

家に着いたら、夜中の3時。疲れた・・・
翌日、午前中にジジを再度病院の診察に連れて行く。
CTの写真では特に重大な異変もないので、大丈夫でしょう。との事。
とりあえず、一段落。ヤレヤレ…

結局なんだったんだ?
軽く貧血気味だし、足元はヨタヨタしてるし、おまけに前立腺炎の薬は頭がフワッとすると注意書きがあるし・・・
倒れる要素はいっぱいあるということだ。
たまたま今回は廊下で倒れたので、物音が大きかったが、
これが部屋の中で、布団につまずいたのなら、誰も気づかなかっただろう。
そういえば、以前、朝起きたジジの顔にぶつけたような傷があった事もあった。
何がおきても、不思議じゃないのが、現実なのだった。

2005年10月12日

門の合鍵

朝、珍しくトイレを汚したジジ
「汚れてるんだよね。どうしたんだろう?誰かが汚したんだ…」
ジジ、自分のことがわからない~

それにしても、前日からトイレの回数が多かった。もしかしたらまたぼうこう炎?
と心配になり、デイサービスをお休みして病院に行くことにした。
まず、先日の老人健診の結果を聞きに行ったところ、少々貧血傾向だがまあ年相応との事。
次に、5月にぼうこう炎になった時に行った病院へ。
検査の結果、前立腺が少し腫れているが、ぼうこう炎ではなく、今のところ大丈夫らしい。
炎症を抑える薬をもらってきた。
この間、そんなにトイレに行かなかったし・・・熱もなかったしな。
ただ、トイレを汚しただけだったのか???

そんなこんなで、病院を2軒連れて行ったら、もう1時。
半日以上つぶれた~


そうそう、ジジが玄関から外に出てしまうので門の鍵をかけることにした。
多分、ジジは開けられないだろう。(開けないでくれ~!)
だけど、家族分の合鍵が必要だ~!いっこ500円×4こ追加。
余計な出費だ(;>ω<)/

2005年9月28日

老人健康診断

区から、老人健康診断の通知が来ていた。
去年はババが連れて行って、2人そろって検診したのだが、
〔そのときは、まだ認知症とはおもっていなかったのだ)
尿検査・眼底検査一つとっても、うまく出来なくて、さんざんだったらしい。

そこで、今年はババは自分だけさっさと検診に行ってきた。
考えてみれば、ババだって、自分のことで精一杯なのだ。

と、いうわけで~
デイサービスがない「魔の木曜日」に行ってまいりました。
(もちろん、ジジは何のために、どこに行くのか?なんてわからないのね)
相変わらず、心電図がなかなかうまくとれなかったりしたけど、何とか終了。
まあ、結果は結果。後日聞きに行くことになりました。

さて、朝食抜きのジジ。ファミレスで、ブランチ。
例のごとく、気になりだした入れ歯。口からはずしたところで、素早く回収。
一度とってしまえば、もう取れる歯はないのだから・・・
慣れてしまえば、どうってことないわ。

2005年9月12日

歯医者

17:30に歯医者の予約。
仕事からまっすぐ帰って、ジジとババを車で歯医者まで送る。
駐車場がないのが不便。さらに駅前商店街…夕方の人通りは多い。
二人を降ろして、一度家に帰る。

歯医者は、入れ歯を修理し、前回歯石を取り、
今日、歯の治療をして、ひとまず終了。
やれやれ、これでひとつ仕事が終わった気分。

今回、ババが歯医者に付き添ってくれたので、楽だった。
それに、ババも、初めてジジの入れ歯がどんな入れ歯で
自分の歯がどれくらいあるのか,わかったみたいだ…

考えてみれば、私だって、夫の歯がどんな状態なのか、覗いたことないもんなぁ~

2005年8月29日

入れ歯修理

しばらく前から気になっていたのだが、
ジジの部分入れ歯のピンクの部分にひびが入ってきた。
10月になって、私に時間の余裕ができたら、歯科医に連れて行こうと思っていたのだが、
いよいよ亀裂となり、とても10月まで持ちそうにない。

歯科医院に予約を取り、夕方仕事が終わった後に、ジジを連れて行く。
駐車場がないので、歯医者の付き添いはババに行ってもらう。
(認知症の状態や耳が遠いこと、本人は症状を伝えられない事・入れ歯の状態など、伝えたいことを紙に書いておく)

さて、歯医者が終わったジジ。車まで歩いてくる30mのあいだに
「おしっこがでたい」…あわてるババ。
まあまあ…トイレ探してるより、うちに帰ったほうが早い。

しかし、家に着いたジジはすっかりトイレのことなど忘れている。
…やっぱり…歯医者さんと、歩くのがいやになっちゃったんだ。
全く、困ったものです。

ババによれば、診療室でも、寝ているのに飽きて、騒いで起きたらしいし…
(やっぱり、中度の認知症と、書いておいて良かった~)

さて、問題の入れ歯は、きれいに補修されて来ました。
歯石の除去は来週の予約です。

2005年6月26日

ババ全快?

病院に行くか?様子を見るか?考えたけれど
結局どこにも行かなかった。
朝起きて、ちゃんとジジの食事の支度をしている。
けれども、自分の食事は大嫌いなおかゆだ。
・・・ちなみに、私が作ったおかゆは、まず食べません・・・

しかし、昨日はどうしたんだろう?
食中毒?じゃなさそうだし。なんだったんだろう?

朝から、ジジを躾けている声はいつもどおりの声だし・・・
治っちゃったのかなぁ?

もちろん、ジジはばばのからだのことなどわからない。
改めて考えてみると、ババが入院しなくて助かった。

2005年6月25日

救急車!呼ぶ!!?

なんでもないごく普通の夕食後。
ババの異変は突然起きた!
歯を磨いて、トイレに入って・・・そのままでてこない。

一方寝る前にトイレに行きたいジジは、トイレの前でウロウロ・・・

「別のトイレに入ってよ!!」
どうも、ババが腹痛と吐き気に襲われているらしい。
急いで、ジジを2階のトイレに誘導。
(同じトイレなのに、場所が変わると水を流すことができなくなった)

しばらくして、トイレから出てきたババ。痛さのあまり廊下に這いつくばり全身汗!
「大変!!救急車を呼ばなきゃ!」
「ちょっと、待ってて・・・・おなかが痛いの・・・まだ呼ばないで」

どうしたんだろう?昼間何を食べたんだろう?食中毒か?
でも、ジジは普通だし・・・救急車を呼ぶなら、誰が一緒に行く?
ジジは、誰が見てる?まだ帰って来てない子供たちは?
そうだ、パジャマと下着・・・スリッパ・・・バスタオルも・・・
・・・すっかり入院の支度が整ってしまった(-_-;)

ババ、大丈夫?もう呼んでいい?「痛いからちょっと待って・・・」

ウーム。痛みが治まってから行くつもりか?
こんな痛みと吐き気の人、車で連れて行けないし・・・

とダイニングで待機していること2時間・・・・
どうするんだ?もう救急はないよね・・・
結局、病院には行かずにすみました。

で、考えてみました。
ババが入院したら。昼間ジジが独りになっちゃう。それは大変!

今日はジジが大人しく眠ってくれて。助かった~~

2005年5月25日

注射 その後

20日 熱も下がったので、デイサービスに行く。
記録によれば、ふだんと変わらず活動した模様。
トイレは5回。職員の方が、気を利かせて、頻繁に誘導してくれたらしい。

さて夕方、「ジジ、病院に行くわよ」
ジジ「え?ご飯ですか?公園?」
娘「ジジ、お散歩行くって~!」
なんだかわからないけど、靴を履くジジ。

車で病院に着いても、初めての場所でキョロキョロ。
診察室に入っても、不思議そうに先生を見ている。

先生「熱も下がったし・・・もう注射はいいかな?あと一回しておいた方がいいんだけどなぁ・・・」ドキドキ
先生「どうします?もう一回注射しますか?」と手ぶり身振りでジジに尋ねる。
ジジ「??なんですか?てーか?」よく聞こえないしわからない。

そこで、耳元で通訳
「ジジ、病気でおしっこが濁ってるんだって。お尻に注射すると治るって。どうする?ちょっと痛いけど、注射する?」
ジジ「おしっこ?そうか?注射・・・したほうがいいね。おしっこも出たいな」

その同意の一言を聞いた先生。大急ぎで注射の準備。
「おしっこは注射のあと~!」
ジジの気が変わらないうちに、ズボンを下げて、
「ジジ、私の手をぎゅっと握って、お尻、ちょっと痛いけど、我慢してね。」
さすがに針をさしたら「イタイイタイ!」
「あービックリした。こんなに痛いのは初めてだよ~」
と、抗議の眼差し。

「さー!痛かったね。じゃあ、おしっこ行こう!」
「そうだ・・・」と、もう注射のことは忘れたのでした。

覚えられないって、実は幸せなことだなぁ。
ぼうこう炎も、ほかに感染が広がらなくて、本当によかった。

2005年5月19日

ぼうこう炎3

朝から熱が下がっている。
10時にケアマネさんの訪問。ババはここ数日の顛末を洗いざらい訴えている。
・・・それを聞いているケアマネさんは、つくづく大変だと思う・・・

夕方になっても熱は36度台。だいぶ落ち着いてきたようだ、
・・・もしかしたら、今日は注射をしないかも・・・
と思ったのだが、考えが甘かった。
「もう解熱剤は飲まなくていいです」「尿もだいぶきれいになってきました」
「さあ、もうしばらく注射はしますよ」(;>ω<)/

昨日みたいに暴れたら大変。
「ジジ、手を出して。私の手をギュッと握って。お尻、ちょっと痛いよ。」
・・・イタイイタイと、体をこわばらせるジジ・・・
手を握ったまま、ジジの体と顔を引き寄せ、耳元で声をかける。
「痛いよね。もうちょっとだからね。大丈夫大丈夫、もう終わり、痛くないから。
ビックリしたよね。もう終わりだから、ごめんねぇ」
ジジ「痛かったよ。こんなに痛かったのは初めてだよ・・・」

まあ、痛い痛いと騒いだけど、椅子から動かなかったし、一度で注射終わったし。
小さな子供を抱っこして注射する要領でOK。けっこううまくいったと思う。

しかし・・・注射は始めてだったらしい・・・
覚えられないってことは、幸せなことかもしれない。
帰りの車で、アメをあげたら、ご機嫌が直った。(笑)
明日も、忘れてるといいなぁ・・・

2005年5月18日

ぼうこう炎2

朝は37度。夕方になり38度を超す。
夕方病院へ。ジジババを病院で降ろし、私は車を回して用事を済ませてきた。
再度、病院へ迎えに行く。

ババ「もう・・・暴れちゃって、大変だったのよ~」
この日も注射。針をさしたのが痛くて、動いてしまったため、余計に傷をつけてしまった。
再度、医師と看護婦、ババと3人がかりで押さえつけて注射。
「なにすんだ!俺はどこも悪くないのに!!」診察室を逃げて騒いだらしい。

おかげで、医師に「こんな調子じゃ大変ですね。誰が面倒見てるんですか?」
「精神科で見てもらえば、治療の薬もある・・・」といわれてきた。

ウーム。そうなのかなぁ。紹介状書いてもらっていったほうがいいのかな?
でも、自分の病気がわからない人。いきなり押さえつけられて痛い思いをしたら
誰だって、自分を守るために抵抗すると思うんだけど・・・

おまけに、ババが先生と話をしているあいだ中。
自分で服が着れなくて癇癪を起こしたという。
ババは、文句たらたら・・・そりゃ双方大変だったでしょう。

2005年5月17日

ぼうこう炎 発熱

夕方、仕事のあと買い物をして家に帰るとババが待っていた。
「熱があるからって、途中で帰されたのよ~38.6度熱があるのどうしたらいい?」
・・・なんで、すぐに電話しないの??

もうすぐ18時、どこのお医者さんがやってるだろう?と悩む私の前に
「もう、ごはんですか・・・?」食欲はある?らしい?

さて、診察。のどは赤くない。最近トイレが近くてよく失敗する・・・
ジジは自分の症状を訴えることはできない。
あちこち診察して、尿を調べて「ぼうこう炎でしょう」
「尿がにごっているでしょう?」といわれてもねぇ。
ここしばらく、トイレを汚すと思ったけど、このせいだったのね。

お尻に注射。「痛い痛い」とちょっと騒ぐが、両手を握り、落ち着かせる。

18日水曜日のデイサービスに、ジジババ2人欠席の連絡。

2005年3月 9日

顔に引っかき傷

何日か前からちょっと気になっていた「顔に、引っかき傷」
なんというか・・・猫に引っかかれたような、あるいはバラの刺の中にもぐりこんだような
寝ていて無意識に引っかいたのかな?と思っていたのだが・・・
なんと今日は、おでこ・・というか、はげ頭まで!!

で、気が付いた。「電気かみそりだ!!」
案の定、シェーバーの外刃が壊れていて、指が引っかかる。
これで、ヒゲからおでこまでこすっていたんじゃぁ・・・
ジジは、痛くなかったのかなぁ…?

というわけで、ジジが「ふれんど」に行っている間に
ババと、電気かみそりを買いに出かけました。
…なんたって、自分が使うものじゃないから、よくわからない…
なるべく、使い方が簡単で、ジジがわかりやすそうなものを購入。

水洗いができると書いてあるけれど、ジジはそんなことは無理。
息子である夫に、掃除の担当をお願いした。
さて、充電もしたし、明日から新しい髭剃りです。違和感なく使ってくれるかな?

2005年3月 5日

高齢者のためのいい病院 東京編

読んだ日:2005.3.4
著者:青山やすし 出版:かんき出版 初版:2004.6.28

紹介:
・老いた親あるいは配偶者をどこに入院させるか?
・リハビリはどこでしてもらうか?
・療養ならどこがいいか?
・痴呆はどこで面倒を見てもらうか?
患者の立場で選んだ50の病院
99~2003年まで東京都の副知事を務めた青山氏が高齢福祉部長時代に、高齢者の病院や老人ホームを見て歩き、そのときに感じたいい病院の選び方。

コメント:
義父が介護保険申請をする段になって、困ったことがある。「主治医」の欄に誰の名を書けばいいのか?某総合病院の内科にかかってもう数年。定期的に見てもらっていたが、先日けいれんで救急車による搬送は、「満床」を理由に断られてしまった。新たな搬送先は脳神経外科のある救急病院。しかしその先生は痴呆を扱うものの週2回しかこない。
しかも脳神経外科では「脳血管性の痴呆」の診断や予防には有効だが、痴呆の程度レベルの診断となると、精神科を受診することになる。
精神科で痴呆の進行を遅らせる薬…の処方箋をもらって薬局に行った。
ところが驚くべきことに、もう2年も前から某総合病院の内科で「同じ薬」を処方してもらい飲み続けていたのだ。
高齢者にとっての主治医。主治医となるべき医師のいる病院は、どこを選んだらよいのだろう?ほとほと困ってしまう。
本書は、緊急の救急病院の、その先の病院探しであるが、私にとっては人事ではない。少なくとも、今かかっているどの病院も痴呆対応入院は望めない。かろうじて精神科の医師が本書に紹介されている病院とのつながりがあるので、そこかな…?しかし、いくらこちらが気に入っても、空きがなければ、入院は受け入れられないのだし。
「家で面倒見れなくなったら、病院に入れてしまえばいい」と簡単に言う人もいるが、いろんなことを考えれば考えるほど、そうそう簡単にはかないことがわかってきた

2005年3月 3日

大雪の予報

学級閉鎖ならぬ2週間デイサービス閉鎖になっていたので明日は久しぶりに「ふれんど」の日です。
もうすっかり忘れてしまっただろうか?楽しんできますように。
それにしても明日は大雪の予報・大丈夫かな?

今日は、また新聞の片づけをお願いしました。
久しぶりに二女が早く帰ってきて、夕方ジジのお相手をしてくれました。
カタログを見たり、相槌を打ったり・・・
それにしても、1分前に説明したことすら、忘れてしまうのだから・・・
ちょっとビックリしてしまいました。

2005年2月17日

軽度と中度の間

今日ははじめて「痴呆」の診断を受けてきました。
「アルツハイマー型老人性痴呆」これは予想通り
テストの結果は「軽度と中度の間」
薬をもらおうと思ったら、実はもう、2年も前から目的の薬を飲んでいたことが
「お薬手帳」を見てわかりました。
となると、暴力的でもなく穏やかなジジは、上出来で幸せな方に入るんだとか。

世の中には暴力的だったり、排泄物をこねてしまったり
もっと大変な人がたくさんいるんですよ~と、慰められて帰ってきました。

今日は一日お昼寝なしで過ごしたジジでした。

2005年2月15日

きれいなお姉さんが好き

今、我が家には来年の成人式に向けて、振袖のカタログがたくさんきている。
きょうは、夕方の夕食待ちのジジに、そのカタログを見てもらった。
きれいな若い女の子が、ステキな晴れ着を着て、にっこり微笑んでいる写真に
ジジもご機嫌!
「きれいだな~」「顔が小さいねぇ」「今の子は足が長いなぁ・・・」
と、いたく感心していた。
やっぱり、きれいなお姉さんが好きなのねぇ。

今日は、デイサービス「ふれんど」から連絡があった。
利用者と職員の双方にインフルエンザの患者が発生したらしい。
抵抗力の弱い高齢者が集まると、さらに拡大する心配もあるので
今週いっぱい、デイサービスは休止(学級閉鎖か?)。
残念だけれど、仕方がありませんねぇ。

2005年2月 8日

腫れがひいてきた。

朝から冷たい小雨。今日は散歩に行くといわないだろうと思うと、ちょっとホッとする。朝の一連の日課を終えた頃を見計らって、「洗濯物の山」ジジの部屋に持ち込む。
最近、洗濯物を見ると「たたむんだな」とわかってくれるようになって、とても助かっている。

ジジの顔の腫れはだいぶ治まってきた。出血したふうでもないのに、かさぶたになってはがれかけてきている。治りかけは傷が痒くなるだろうから、気にして取ったりしないといいのだけど。
デイサービスでは、理容のサービス(有料)もあるそうです。床屋さんに連れて行く手間がなくなって、ちょっとありがたい。
でも、まだ頭の傷があるから今回は見送りにしよう。

2005年2月 2日

図書館→美術館→病院へ

昨日ぶつけた左目の上は、さらに腫れあがり、左目は小さくなってしまっている。
しかし、本人は特に困った様子もなく、目も見えてるみたい。
午前10時前にはもう、「散歩に行ってきます・・・」(ちょっと待って~!)

暇をもてあましているので、車で近くの図書館へ。風は冷たいけれど、天気は上々。
絵本コーナーで「やさい」の本に興味を持ったので借りる。
図書館の2階は区立美術館になっているので、常設展を見てきた。
人物画や風景画はわかりやすいので、気に入ったようだ。
「こんなとこに美術館があったなんてな~!知らなかったよ」
大きな絵が多いので感心したように見ている。また来ようね~

午後は脳神経外科へ
「痛そうだね~どうしたの?」腫れと痛みをとる薬をもらう。
腫れているだけで、脳を傷つけたわけではないらしい。

ジジはCTの写真から脳血管性の痴呆ではないらしい。アルツハイマー型あるいは加齢による老化の一つ(Alzheimer型老年期痴呆)と考えられるそうです。
けれども、一度精神科の診断を受けて、どんな痴呆なのか?家族がどんな対応すれば良いのか?等知りたいので、紹介状とCTをお借りしました。

2005年2月 1日

ころんだ?よろけた?ぶつかった。

朝、食事に出てきたジジの左眉に、赤い傷を発見!腫れている。
良く見ると、はげ頭の左半分が少し赤くなっている・・・
「あれ?」目も腫れてる・・・

どうも、転んだか、よろけたか?どこかで頭をぶつけたらしい。
訊くと
「ああ、痛かったよ。だけど、しょうがないよねぇ・・・我慢したよ」

昨日はなかったから、夜中トイレにおきたときか?それとも朝起きたとき?
どこにぶつけたんだろう??と、あれこれ訊いてみるが、さっぱりわからない。
「どうしよう?病院に行ったほうが良いかな?」
「自分の子供だったら、心配だから病院に連れて行くなぁ・・・」
と、逡巡し、この間行ったO病院へ向かった。

レントゲンとCTを撮ったが前回と特に変わったところもないらしい。
散歩もOK。ただし、足がよろけたりして危ないので、付き添いが付くことが条件。
(ヤレヤレ・・・ババが一緒に行くわけないしな・・・)
明日、脳外科を受診することになった。
(脳波・・・とれないんだよねぇ)

会計を待つ間。「トイレに行きたい・・・」・・・また始まった。
ぜーんぶ脱いでみたけど・・・何も出ませんでした(´_`;)
多分、もう飽きちゃって帰りたくなっちゃったんだろうなぁ。

2005年1月19日

脳神経外科へ

昨日のO病院へ脳神経外科の外来に行きました。
脳波は失敗して取れなかったので、血液検査の結果と脳の写真を見てもらったところ
脳梗塞などの兆候はなく、脳が年相応に小さくなり、隙間ができているのはしょうがない。とくに心配することはないそうです。
「認知障害」も、名前と生年月日がちゃんと言えたし、聞かれたことでわからなかったことを、あとから思い出したりしました。
先生は主に、ジジに会話を投げかけて、その様子を見ていました。

結果的には、けいれんについては特に心配するような点が見られない。
水分をしっかり取る・新聞の見出しを音読する・家の中の掃除をする・という宿題をもらいました。
そして、様子が変だったらすぐ来ること。1ヶ月に1度は顔を見せに来るように言われました。お薬もいらないし、デイサービスも入浴もOKだそうです。
「がんばって、長生きするんですよ!戦争で若く死んでしまった人の分も生きるんです。100歳まで、あと15年は生きられますからね~!」と檄を飛ばされて帰ってきました。

ジジ?なんだか神妙な顔をしてうなずいていましたよ。

でもよかった~。これで一安心です。
やっぱり、ジジには何か仕事をしてもらわなくっちゃなぁ。

そういえば・・・ジジ。救急車に乗ったことは覚えているらしい。

2005年1月18日

救急車!

「けいれんを起こしたので、救急車で病院に搬送します」
デイサービスから電話。
入浴後、リハビリ体操をしている途中で、急にけいれんして意識を失った。10秒ほどで意識は戻ったけれど、車椅子に乗せているうちに、再度けいれんを起こしたそうです。
いつも行っている病院は満床で断られてしまい、はじめての「0病院」へ
入院の用意をして、ババを連れて病院に向かいました。

すでに採血や、いろいろな検査を済ませて、救急のストレッチャーの上で、点滴・酸素のジジ。
見たところ、落ち着いた様子でホッとしました。

「たぶん入院することになると思うので、こちらに記入してください」と看護婦さん。
差額ベットか?一般室か?あれこれ聞かれる。
ところが、先生の話を聞くと、「検査の結果、特に悪いところはないので、入院しなくても大丈夫でしょう。」「もしも、またけいれんが心配なら、入院して、脳波をとってみましょうか?明日の脳神経外科の先生にみてもらいましょう。」
どうも、「どちらでも、いいですよ」ということらしい。

家に帰っても心配なので「入院」しようと決めた。
ところが、点滴の途中で「おしっこ」トイレから戻ってきてしばらくすると、今度は「ウンチとおしっこがでたい」・・・でも、でない。

今、紙パンツだからでてもいいよ~といっても、でない。
どうもジジは、デイサービスの初日とおなじで、「そこにいたくない」と思うと、トイレに行きたくなるような気がする。
家では一人でトイレに行って「自立」しているジジだけど、ズボンを全部脱いだり、そのほかにもいろいろとこだわりがあるので、
「こんなに手のかかる人は、面倒を見れませんよ」「入院するなら、誰かご家族が付いていてもらわないと・・・」「さ、車椅子とトイレの介助の方法を教えます」なんていわれてしまった。
(入院は無理???)

トイレから気をそらすために、指相撲をしたり、手遊びをさせたり・・・
三度目の「おしっこ」に付き合い、ようやく落ち着いたところで、次は「脳波」
「ジジ、ちょっとお昼寝しましょうね~」と言い聞かせて、検査室へ。
脳波の検査はじっとしていないとダメなので、もしかしたら取れないかも・・・

案の定。途中で目が覚めて、「ここはどこだ!??」と不安になって動き出してしまったようで、検査は中断。目はうつろ、不安げにさまよっている。

というわけで、家につれて帰ってきました。
救急車だったから、靴もないし、コートもおきっぱなし。スリッパと私のコートを着せて「似合うよ~」
たぶん、自分が気を失ったことも。救急車で来たことも、全然分かってないし、なんで病院にいるのか?もわかってないのよね。

サンドイッチを食べて、夕方6時頃寝てしまいました。
そして、先ほど、11時頃「もう朝かな?」と目が覚めて考え込んでた。
「まだ夜ですよ~。」

2005年1月17日

歯医者&皮膚科

今日は歯医者さんの予約。
久しぶりのいいお天気で、ジジは朝から散歩に行きたくて、ウズウズしています。
散歩に行っても、すぐもどって来てくれればいいのだけど・・・
こちらの都合で、引き止める。

歯を磨いて~。コートを着せて~。ちょっと待ってて~!

予約の時間よりかなり前に家を出る。まあ、徒歩15分ちょうどいいお散歩だ。
案の定、30分も早く到着!
でも、ちょうどあいていて、すぐに診て貰えたのでラッキー!でした。
入れ歯の具合もよく、今日で歯医者さんは終了しました!

さて、次は皮膚科。
口の端に、小さなイボのようなものができて、ジジが気にして引っ張っています。
そのせいで、出血。歯を磨くために大きな口をあけると、また出血(;ヘ;)
切らなくちゃダメかな?消毒とか薬とか、また気にしてさわるだろうなぁ・・・
と、心配していましたが。
「液体窒素」で処置をすることになりました。
(おとなしく、口をあけてじっとしてくれたので、一安心)
週に一回、しばらく通うことになりそうです。

ちょうどお昼の時間なので、家にいるババを呼び出してランチにする。
「ここ、前に来たことがあるよね」とジジ。覚えてるのねo(^◇^)o
例の駅前の喫茶店。お散歩ぎらいのババも、ちょうどいい運動になるわ。


そういえば、今日はなぜだか「お財布を持ってないんです」と心配していました。
いつも、ぜんぜん気にしてなかったんだけどねぇ。時々思い出すらしい。

2005年1月12日

手袋

今日は歯医者さんの予約の日。
歩いて7~8分の距離。余裕をもって15分前に家を出た。

外は北風、太陽が低いので道路も日陰が多くてとても寒かった。
フードをかぶっても、風で飛ばされてしまう。やせているジジは飛ばされそう
ようやくたどり着いたら時間ピッタリ!15分かかったことになる。

さて、歯医者さん。
抜け落ちた前歯を、入れ歯に追加。ヒビが入っていた部分もきれいに直っている。
ジジも、「ニッ!」と笑って、満足気。
下の入れ歯のあたる部分も、再度調整してもらって、調子がよさそう。

歯の磨き方も、「よく磨けています。これで大丈夫です」
と先生にほめていただいて、一安心。よかった!

帰り道。あまりに風が強くて寒いので、手袋を見に行く。
ジジの手は小さいので、ふつうサイズの手袋だと指先が余ってしまうのだが、
ちょうど良いサイズのものがあり、ジジも気に入ったようなので、それに決める。
ついでに、毛糸の帽子も買って、その場でかぶせて帰って来た。

行きは、寒くて無言で歩いていたのに、帰り道は
「手も、耳もあったかいな~。これなら、どこまででも行けそうだよ」
と、ご機嫌でした。

家に戻ったら「あら、いい帽子ね。よくかぶってきたわね~」とババ。
「帽子、あるのよ。手袋も二つ・・・」
・・・あったって、しまってあったらダメじゃないねえ。
というより、帽子をかぶせたり、手袋をさせたりするのがめんどくさいんだろうなぁ。

2005年1月 7日

歯医者さん

予約を取って、ジジが以前通っていた歯科医院に行った。

「歯医者さんに行きますよ。」
「歯?どこも悪くないよ。」
オイオイ・・・歯は抜けちゃったし、痛いって言ってたじゃない。

「ご飯食べに連れて行ってくれるの?じゃあ行きます・・・」
(誰もそんなこと言ってないんだけど~)

まあ、とにかく出かける気分にはなったのでよしとする。

「あー!暖かくていい天気だな~、家にいてもしょうがないもんな~」
今度はお散歩気分(笑)

歯医者さんに到着。しばらく待つが、待合室の掲示物を読んでそこが歯医者であることがわかったみたい。
診療室に呼ばれたジジはおとなしく治療を受けているようで一安心。
看護婦さんに、(耳が遠い・認知症・歯が抜けた・歯茎がはれている・歯石・口腔ケアの方法)などを伝える。

抜けた前歯は、入れ歯に一本追加することができるそうで、作り直す必要はありませんでした。入れ歯の歯石もきれいにとってもらって、歯茎のはれているところも当たらないように調整してもらいました。

歯磨きについては、やはり自分で磨くのには無理があるので、毎食後(!)入れ歯をはずして磨いてください・・・(ヤレヤレ、めんどくさいことになってきた)
歯ブラシは、幅の狭い3列植毛のもの、磨き方も指導してもらい、歯間ブラシも併用。
入れ歯は、磨いてから洗浄剤に浸ける。

家には歯医者さんみたいなリクライニングになる椅子がないから、ジジに寝てもらわなくちゃならない。結構めんどくさい気もするなぁ。

さて、次回の予約は水曜日。

歯科医院を出ると、もう12時半。
「おなかすいたねぇ・・・」というので、お昼を食べて帰ることにする。
ラーメン屋さんに入ってみたが、混んでいて、おじいさんがゆっくり食べている雰囲気ではない。
駅前の喫茶店でランチサービスのサンドイッチを食べることにした。
サンドイッチの量が半分で、小さなデザートとたっぷりのカフェオレが付いて、430円って安い!ジジにピッタリの量だし、喫茶店好きのジジは嬉しそう。

(だけど、ここでは「お金を持ってないんです」って心配しないのよね。不思議)

帰りに歯ブラシを買って、早速家に帰って、歯磨きをしました。
歯の、どの辺に物が詰まるのか、わかってきたぞ!

2005年1月 5日

歯が抜けた!?

歯磨きのお手伝いをしています。
入れ歯をきれいにして、自分の歯は、本人に磨いてもらっているのですが・・・
今日、入れ歯を渡したら、奥の歯茎が痛いといいます。
そこは歯がないのだけど、本人が気にして歯ブラシをしている場所・・・
歯茎を刺激しすぎて炎症を起こしてるんだろうか??
「口腔ケア」どうやったらいいの?

磨き終わった入れ歯を装着してもらったら・・・

あれ?今まで隙間がなかったのに、今日は歯がないところがある!?
私「どうしたの?」
ジジ「アー、そういえばさっき・・・その辺に置いたよ」

あたりを捜してみると、歯が一本きれいに抜けている。
そして、前歯の部分にぽっかり穴が開いている。

はぁ~。出血なんてしなかったのかな?
痛くなかったのかな?

いずれにしても、歯医者さんに連れて行かなくちゃダメだなぁ。
ヤレヤレ・・・

2004年12月23日

ババのストレス解消

毎週火曜日と土曜日がジジのデイサービスの日です。
その間にババをお買い物に連れ出しました。

普段、ジジの身の回りのことはババが管理しています。
朝起こすことから服装・薬のことなど、まあ夫婦ですから、当たり前といえばそうなのですが、四六時中一緒にいるのはイヤと、現在は夫婦別室です。

ババは脊椎狭窄症で腰痛のために、ひどいときには起き上がることもままならないことがあり、膝も痛いので歩くときには杖を持ち歩きます。
家にいても、夫婦が一緒にいること自体がストレスになるのが現状で、ジジのデイサービスは、ババのストレス軽減の意味が大きく占めています。

久しぶりに並んで歩くと、思った以上にゆっくりと歩かないと膝がガクガクしてしまい、途中何度も立ち止まります。駅に着くまでに、歩いてきたことをちょっと後悔・・・改めて、義母も要介護であることを認識させられました。

お化粧をして、見た目には77歳には見えませんが、身体は疲れやすく、気持ちはあっても根気が続かない・・・。歳をとるって大変です。

2004年10月28日

脊椎間狭窄症

季節の変わり目か、ババの腰痛(脊椎間狭窄症)がひどくなり、夜中のトイレも、朝起きるときもかなり辛いようだ。それで、布団でなくベッドにしたいという。今後のことを考えると、畳から床に変えたほうが良いと言うことになり、工務店に工事を手配。ベッドを注文。

介護用ベッドにも寝てみたが、腰の痛い人がちょうど、ベッドが折り曲がる位置に腰を移動させることなど到底不可能。ということで、普通のベッドに決定。